漫画のような破天荒な囲碁棋士・藤沢秀行の伝説

無頼の棋士 藤沢秀行 ドキュメンタリー
©NHKエンタープライズ

囲碁界の天才棋士、藤沢秀行(ふじさわしゅうこう)を皆さんはご存知でしょうか。

 

囲碁界の最高位のタイトルである「棋聖」を前人未踏の6連覇した天才でありながら、酒、ギャンブル、女にはまり借金地獄に陥った、マンガのような人です。

DVD「無頼の遺言 棋士・藤沢秀行と妻モト」には、撮影当時、79才の藤沢秀行が映されています。

73才で現役を引退してから6年後のことです。

若き日の藤沢秀行

藤沢秀行が妻モトさんと出会ったのは25才の頃です。

 

とにかく破天荒であり、家族らしいことは何もしませんでしたが、弟子に対する面倒見は良く、藤沢氏の開く勉強会は秀行会といわれ、数々の名棋士が巣立っていきました。

伝説の1手

藤沢秀行には、今も語り継がれている伝説の1手と呼ばれるものがあります。

それは昭和53年の棋聖戦です。

前年の棋聖戦を制し、第1回棋聖に輝いていた藤沢秀行は、翌年の昭和53年は、年間を通して4勝しかしていないというボロボロの成績でした。

相手は加藤釼正。

先に4勝した方が第2期棋聖に輝く勝負で、藤沢秀行は1勝3敗と後がない状態に追い込まれました。

2時間57分に及ぶ大長考の末に打った93手目は、その後の全てを計算して打った1手であり、記録に残るような大勝利となりました。

問題児・藤沢秀行

藤沢秀行は、独自に囲碁の段位を発行することを発表し、日本棋院から除名されます。

 

日本棋院の段位は免状の発行に高額のお金を必要とするためでした。
その体質に不満を持った、藤沢秀行らしい行動です。

その後、和解して日本棋院に復帰します。

実は妻もすごい人

妻モトさんは、藤沢秀行が家に帰らず、生活が苦しい間に華道をはじめ、最高の位まで上り詰めます。

今でも教え子がたくさんいます。

「家に帰るのがつらくて、でも華を前にすると忘れられた。」と笑いながら言います。

藤沢秀行による囲碁指南

中国棋院に招かれて子供たちに碁を教えることもよくあります。

中国では碁のプロは高収入な仕事であり、プロを目指す人は日本の100倍いるといいます。

藤沢秀行は中国の囲碁ファンからも絶大な人気を集めています。

鬼の合宿「秀行塾」

秀行塾という、トッププロたちが集まる囲碁漬けの合宿があります。

合宿で、実際に他のプロが選んだ手と藤沢秀行が選んだ手の違いが細かく説明されており、碁をされている方には勉強になるのではないでしょうか。

藤沢秀行くらい破天荒な妻

70才を越えて、藤沢秀行は家に彼女を呼ぶようになります。

モトさんは、当然のように彼女を受け入れ、「面倒見てくれるからいい」と言います。

 

モトさんは、「この人(藤沢秀行)と一緒にいたから人生退屈せずに済んだ。」といいます。

 

このDVDからは、藤沢秀行のすごさより、むしろモトさんの偉大さを知ることが出来ます。

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