日本には、かつて青い目のサムライと呼ばれたアンディ・フグという伝説の空手家がいました。
かかと落としという必殺技を武器に、日本の空手の威信を背負った孤高のK-1ファイターです。
頭の真上まで真っ直ぐに上がったかかとが猛スピードで振り下ろされます。
DVD「英雄伝説 アンディ・フグ」は、K-1の舞台に燦然と輝く彼の姿を忘れないよう作成された追悼映像です。
わずか35という年齢にして、惜しまれつつ、この世を去りました。
水泳の池江璃花子選手が発表した白血病という病気。
それと同じ病気により彼は、短すぎる人生に幕を閉じました。
極真空手界に衝撃を与えた外国人
1987年、極真空手の世界大会において日本人だらけの大会の中、ひとりの外国人が決勝戦まで勝ち上がりました。
それは、日本人を驚かせるとともに、強く記憶に残りました。
しかし、それだけでは生活できるほどの収入があるわけではなく、彼は、プロに活路を求めるため、極真空手を退館し、正道会館の門をたたきます。
グローブ空手の舞台で経験を積んだあと、満を持してK-1のリングに立つこととなりました。
初めはK-1で苦労の連続
K-1の舞台は、当初体重階級がなく、身長180cmの彼は、他の屈強なファイターたちと比べ、とても小柄でした。
また、空手家は、キックボクシング出身の選手たちの打撃系の攻撃に慣れておらず、K-1黎明期には苦戦を強いられました。
彼は勝つときも負けるときも豪快なK.Oで1993年~1995年までは勝ったり負けたりを繰り返していました。
しかし、彼は不屈の闘争心で努力を重ね、K-1で活躍し始めます。
日本の空手が世界に通用した瞬間
そして、アンディ・フグは、ついに1996年のK-1GPで優勝を飾ります。
キックボクシング勢にやられていた日本の「空手」が世界一を取った瞬間でした。
アンディ・フグの人気はどんどん上がり、当時日本で一番有名な格闘家となりました。
彼の放つ必殺技「かかと落とし」は、試合で繰り出すだけで歓声を浴びるようになりました。
日本だけでなく、彼は母国のスイスでも、英雄となりました。
その後、はフランシスコ・フィリオ、ピーター・アーツ等のライバルの台頭、そして彼自身の年齢により、優勝した時のような輝きは失いましたが、それでもたゆまぬ努力を続けました。
あまりに突然の死
そんな中、2000年8月24日、正道会館での記者発表で、彼の突然の訃報が告げられました。
世界中に衝撃が走りました。
彼が病気であることは、誰も知らず、突然の死にファンは困惑と悲鳴を上げました。
まだ、35歳という若さでした。
あまりに早すぎる死でしたが、彼がK-1に残した功績は大きく、今だ、世界中の人の記憶に残り続けています。
K-1の人気を作ったのはアンディ・フグである。といっても過言ではないほどの選手でした。
今後も、彼の残した功績を世界が忘れないように、このDVDが後世に語り継がれていって欲しいものです。
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