株式投資の怖さを知る本「世紀の相場師 ジェシー・リバモア」

世紀の相場師 ジェシー・リバモア 投資・金融・会社経営
©角川書店

「世紀の相場師 ジェシー・リバモア」は、世紀の相場師といわれた伝説の投資家、ジェシー・リバモアの生涯を、著者リチャード・スミッテンが、ジェシーの息子ポール・リバモアに取材を行い、まとめた本です。

本人が書いたものではなく、あくまで他人が書いたものですので、ジェシーの行動については詳細に記載がありますが、感情の部分についてはそれほで詳しい記載はありません。

あのBNF氏が紹介し有名になった本

日本で一番有名な株式トレーダーといってもいい、BNF氏は、相場の観察で、株の取引手法を学んだため、株式関連本などはほとんど読んでいないとされています。

そのBNF氏が参考にした本として紹介したのがこの「世紀の相場師 ジェシー・リバモア」でした。

そのおかげで、一時は品薄になるほど売れたようです。

確かに、相場の細かな動きから全体の動きを予測するという、ジェシーの考え方は、BNFの取引手法と似ています。

第一章 1929年 「ウォール街のグレート・ベア」

ジェシー・リバモアは、1929年10月のニューヨーク株式市場の大暴落を読み、大儲けをしました。

その時、ジェシーは既に有名な投資家であり、暴落の原因はジェシーの売り仕掛けにあるのではないかと疑われます。

「お前のせいで大損したんだぞ」と投資家からののしられるジェシーは、自身の大儲けとは裏腹にもやもやした気持ちになります。

 

あえてこの話を冒頭に持ってきたのは、この出来事があって、ジェシーの考え方が大きく変わったからです。

自分の儲けのことだけではなく、アメリカ経済に与える影響も考えて行動するようになります。

 

残念ながら、この章ではジェシーの取引手法に触れている部分はありません。

第二章 14歳 家出同然でボストンに

1877年にジェシー・リバモアはマサチューセッツ州ルーズベリーに貧しい農家の子として生まれました。

幼少より数学の才能に秀でたジェシー・リバモアは、14歳になると、単独家を出て、ボストンの株式ブローカーの元でチョーク・ボーイとして働くこととなります。

チョーク・ボーイとは、ティッカー・テープに流れてくる企業のリアルタイムの株価を絶えずボードに書いては消してを繰り返す仕事です。そのボードをみながら、投資家たちは株の売買を行います。

ティッカー・テープとは、昔の映画の映写機のような形のもので、

その、数字の動きを見ているうちに、ジェシー・リバモアは、株価には、ある一定の規則的な動きがあることに気づきます。

ジェシー・リバモアは、まだ、通常の市場で株を売買するほどのお金がなかったため、バケット・ショップという、いわゆる株のノミ行為を行う闇市場へ通うようになります。

才能を見せるジェシー・リバモアは、16歳にして1000ドルを稼ぎ出し、バケットショップから出入禁止を受けます。

満を持してニューヨーク市場に乗り込むジェシー・リバモアですが、手持ちの資金では少なすぎて、すぐに破産します。

1000ドルを知り合いから借りて、バケット・ショップに戻ったジェシー・リバモアは、危ない目にあいながら、何とか1万ドルの資金を作り株式市場に戻るのでした。

第三章 千金の富 サンフランシスコ大地震をニューヨークで体感

1万ドルの資金を得てニューヨークに戻ったとき、ジェシー・リバモアは、22歳でした。

最初の失敗を生かし、より慎重に取引を行うことで、ジェシー・リバモアは、まずまずの成績を残します。

翌年1900年にジェシー・リバモアは、結婚します。

1901年に株式市場は空前のブームとなり暴騰します。

それに乗じてジェシー・リバモアは、5万ドルを儲けます。

しかし、同年5月に相場が一瞬崩れる際の取引を誤り、5万ドル全てを失います。

株式市場では、バケット・ショップと違い、自身が指した値で取引が成立せず、スリップしてしまうことが、損失の大きな原因でした。

ジェシー・リバモアは、再度バケット・ショップに戻り、利益を積み上げていきます。

幸いにも新しいバケット・ショップにがたくさんオープンしており、出入禁止を繰り返しながらも取引をすることができました。

そして、再び株式市場に戻り、さらなる検証を続け、利益を積み重ねていきます。

そして、1906年サンフランシスコで大地震が起こった際、ジェシー・リバモアは、売り仕掛けをします。3日後、株式市場の大暴落が始まり、彼は25万ドルを手にします。

第四章 1907年 J・Pモルガン、JLに救済を要請

1907年、自身の取引手法が波に乗ったジェシー・リバモアは、100万ドルを有するほどになっていました。

そして、1907年、コールローンのひっ迫による資金不足を元に、株式市場の大暴落が発生します。

そこでジェシー・リバモアは、売り浴びせを行い、1日で100万ドルの利益を手にします。

このままでは株式市場が崩壊することを懸念したJ・Pモルガンは、ジェシー・リバモアに、売りの蛇口を閉めることを要請しました。

同意したジェシー・リバモアは、翌日株式を買い支え、結果として市場は反騰しました。

この一連の取引で、ジェシー・リバモアは、300万ドルの利益を得ることとなりました。

第五章 パーム・ビーチでの豪遊 一転して破産へ

ジェシー・リバモアは、次にコットンキングと呼ばれていたパーシー・トーマスの意見に左右され、綿花の先物取引で300万ドルを失いました。

転落した彼は、友人たちに多額の借金をしたまま、細々と取引を続けました。

その状況に耐えられなくなった彼は、1915年、破産申請を行いました。

第六章 第一次世界大戦 再起するリバモア

破産後、後援者のチャールズの元を訪れたジェシー・リバモアは、500株分の信用枠をもらい、再度株取引を始めました。

その年の終了には、資金は50万ドルまで増えていました。

そして、1917年にアメリカがヨーロッパの戦争に介入することを読んだジェシー・リバモアは、売り仕掛けを行い、莫大な利益を得ました。

第七章 新婚生活 大邸宅とトレード・セオリーの完成

40歳になったジェシー・リバモアは、それまでの妻と別れドロシーと再婚する。

新居を構え、頻繁にパーティーを開く、社交的な妻でした。

第八章 盤石の富とスキャンダル

知人にマンモス・オイルという会社の株を売りさばくよう依頼されたジェシー・リバモアは、当該会社に係る収賄事件(ティーポット・ドーム・スキャンダルと呼ばれる)の黒幕のように新聞に書かれることとなります。

しかし、マスコミをうまく手玉に取り、事態を鎮静化することに成功します。

第九章 ボストン・ビリー リバモア邸に強盗

第9章はリバモアの家に強盗が入った話です。

株式投資に関係した話ではありません。

第十章 忍び寄る影 金融大恐慌勃発

1929年、第1章でも書いてあったとおり、金融大恐慌が勃発します。

ジェシー・リバモアは、この暴落を予測しており、常に売りのポジションを取っていたため、莫大な利益を得ました。

しかし、彼は相場での阿鼻叫喚が起こるのを見て、大きく気持ちが沈むこととなります。

これ以降、彼は、抑鬱症に悩まされることとなりました。

第十一章 タイミングの秘訣 出撃と退却の時

第11章では、ジェシー・リバモアが株取引を行うタイミングに関する「ピボタル・ポイント」についての説明があります。

市場のわずかな反応からトレンドの反転を読むというこの理論は、市場からの「シグナル」を理解するという、経験と勘が必要なものです。

第十二章 リバモアのルール 資金管理

ジェシー・リバモアが株取引において大事にしているテーマが3つあります。

  1. タイミング
  2. 資金管理
  3. 感情の抑制

この3つのうち、「資金管理」に関する彼の考え方は非常に重要なものです。

  • 株を購入する際は、1度に買うのではなく、全体の資金の5分の1づつを、タイミングを分けて買うこと
  • トータルでどのくらいの規模の取引を行うか、最初に決めておくこと
  • 損切の明確な基準を決めておくこと
  • 10%の損が出たら必ず損切りすること。
  • 予備の現金を持っておくこと
  • 地力のある株を見つけ、危険シグナルが点滅し始めるまで、思い切り走らせること

第十三章 意欲喪失

1932年、ジェシー・リバモアは、妻のドロシーと離婚します。

二人の息子の親権もドロシーが持つこととなった。

ジェシー・リバモアの女癖の悪さが原因とされていますが、ドロシー自身も浮気をしていました。

1933年、ジェシー・リバモアは、ハリエット・メッツ・ノーブルと3度目の結婚をしました。

彼女の前夫4人は、全員自殺しているという、かなり問題のある女性です。

ジェシー・リバモアが愛人を作っていることを知ったハリエットは、1時間ごとに必ず電話をするよう彼に約束させました。

この頃から、次第にジェシー・リバモアの、相場に関する関心は失われていき、取引を行ってもうまくいかないことが多くなりました。

そして、、、1934年、ジェシー・リバモアは連邦裁判所に破産申請を行いました。

第十四章 険悪な関係 ドロシー、息子を撃つ

ジェシー・リバモアと別れた後のドロシーは、酒におぼれるようになっていた。

16歳になった息子のジェシー・ジュニアは、そんな母親が嫌いでした。

パーティーの後、酔っ払って家に帰ったジェシー・ジュニアは、母親と言い合いのケンカになり、銃をドロシーに渡し、銃口を自分に向け、「撃てるものなら撃ってみろ」と母を脅します。

酔っ払ったドロシーは誤って引き金を引いてしまいます。

ジェシー・ジュニアは一命を取り戻しますが、ジェシー・リバモアは、その事実に激怒します。

すぐに、親権を取り戻す訴訟を行い、二人の息子を我が元に連れ戻しました。

第十五章 死に神の到来

二人の息子と継母のハリエットは、仲良くなることはなく、お互いに憎みあうようになりました。

生きる精気を失っていたジェシー・リバモアは、自身が良く利用していたホテルで、自身が持っていた銃で、自身の頭に向かい引き金を引きました。

63歳でした。

株式に関する名著を他にも紹介しています

株式投資家に最も読まれている本「賢明なる投資家」の内容を簡単にまとめました

株式投資の名著「ウォール街のランダム・ウォーカー」を簡潔に説明します

 

コメント