森山未來の人間の深い闇をえぐるような舞台「ネジと紙幣」の感想

ネジと紙幣 演劇
©ポニーキャニオン

ミュージカルのような明るい演劇に見飽きて、たまには暗い舞台も観てみたいと思った方にオススメするのは、森山未來主演「ネジと紙幣」。

2009年に公演され、2010年にDVD化された玄人の評価の高い名作です。

江戸時代に実際に起こった殺人事件を元に現代版にリメイクした本作品は、一種のホラー作品であるともいえます。

あらすじ(ネタばれ含みます)

行人(ゆきと:森山未來)は、家業である部品工場を手伝わず遊んでばかりいたため、家族(義理父:田口浩正、母:根岸季衣、兄:細見大輔、妹:満島ひかり)に愛想を尽かされています。

行人の幼馴染で姉のような存在の桃子(ともさかりえ)は、夫(小林高鹿)と暮らしでいるが、夫婦中はうまくいっておらず、複雑な気持ちを抱えています。

行人と桃子は幼馴染で、素行の悪い行人を桃子は放っておけず、何かにつけ世話を焼いてしまいます。

花火大会の夜。行人は入れあげているキャバ嬢(江口のりこ)が自分以外の男・赤地(長谷川朝晴)と花火を見に来たことに激怒し、東急ハンズで買った木刀で、仲間とともに赤地を襲撃します。

行人は、赤地を殺しかけてしまいます。

奇跡的に怪我から回復した赤地ですが、今度はそれをネタに行人を脅します。

赤地に金銭を求められ、追い込まれていく行人。

行人は、たった数万円のお金のために桃子を殺してしまいます。

あまりにも唐突で理解の難しい殺人です。
この、殺人の衝動をどう解釈するのかが、この舞台の重要なポイントです。

なぜ、桃子を殺したのか。お金のためではない、様々な感情が込められています。

原作「女殺油地獄」から読み解く「ネジと紙幣」

近松門左衛門が書いたとされる江戸時代の人形浄瑠璃「女殺油地獄」、これこそが「ネジと紙幣」の元となった作品です。

近松門左衛門は、この人形浄瑠璃を、江戸時代に実際に起こった不可解な殺人事件に着想を得て作ったとされていますが、この事件に関する記事は残っておらず、真相は不明です。

主人公の、河内屋与兵衛は行人のように、借金まみれの遊び人ですが、あるとき父母の愛情に気づき、早急に借金を返済しようと考えます。

向いに住むお吉のところへ行きお金を貸してほしいと言いますが断られます。

まずは、「真人間になりたいので貸してほしい」と言いますが断られます。

次に「自分の女になったつもりで貸せ」と言いますが、断られます。

次に「金を借りたまま死ぬと両親に迷惑がかかるから貸せ」と言いますが、断られます。

そして、始めから持っていた刃物でお吉を刺します。

3人の娘が悲しむと命乞いするお吉に対して「こなたの娘が可愛いほど、俺も俺を可愛がる親父がいとしい。金払ふて男立てねばならぬ。諦めて死んで下され。口で申せば人が聞く。心でお念仏、南無阿弥陀仏」と言います。

完全に自己中心的な自分愛からくる殺人に見えます。

これに対しネジと紙幣では、桃子の「あんたに先なんてない」「ずーっと、ずーっと同じよ」という言葉に対して行人は「やめろ」といいながら刺します。

殺人に使ったのは、桃子の家にあった刃物です。

原作より、かなり感情的な殺人に見えます。

独特の哀愁がただよった表情で桃子を殺します。

最後の心の拠り所だった桃子に裏切られたような気持になって、悲しみから殺してしまったのではないか、とも解釈できます。

原作より、もっと複雑な人間の感情を描こうとしており、物語をよりおもしろく、難しくしております。

それぞれの解釈でいい

この演劇の感想、「なぜ殺したのか」に対する回答は人それぞれ様々な意見があるでしょう。

ただの、サイコパスであると考える人もいれば、家族の愛情に恵まれず、歪んだ人生を送った哀れな男と解釈する人もいるでしょう。

行人の桃子に対する行き場のない恋愛感情の終着点と考える人もいるかもしれません。

 

ただ一つ言えるのは、人間の感情なんてものは、簡単に他人が分かるようなものではない。

これが、この演劇の言いたかったことなのかもしれない、と私は解釈しました。

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