空海は天才だったから唐に渡り密教の秘密を教えてもらえた

空海の風景 ドキュメンタリー
©NHKエンタープライズ

「空海の風景」は、司馬遼太郎が研究した空海に関する資料から、空海の人生を読み解いたものです。

DVD2枚組でそれぞれ49分の内容です。

1枚目が空海誕生から遣唐使として唐へ渡るまでです。

2枚目が唐での生活から日本へ戻り死を迎えるまでです。

空海のすごいエピソードを簡潔に紹介

  • 中国に行く前から中国語ペラペラ
  • わずか2年で密教の神髄を教えてもらう
  • 書道のすごさで天皇に重用される

空海の才能

空海を語るうえで外せないのは、彼はとんでもなく文学の才能にあふれていたことです。

特に、書道の美しさは当時の中国、長安(現在の西安)においても有名人であったようです。

むしろ、優れた僧であるより、書道家としてのほうが名声を得ていたのです。

また、語学に優れ、唐に渡ったときから、完璧な中国語の文章を作成できていたことが残されています。

唐に渡った際に漂着した福建省のある村で、空海を含む遣唐使一行は海賊と間違えられて、なかなか上陸を許されませんでした。

しかし、船の中で空海が書いて送った文章のあまりの美しさに、正式な遣唐使であることを認められ、上陸できたという話があります。

その文章は中国に残っていて、現代の中国の学者が解析したところ、当時の中国人よりも優れたものであったそうです。

空海と最澄の関係

最澄空海の7歳年上であり、二人は同時に遣唐使として唐の国へ渡ります。最澄は既に桓武天皇のもと、新しい仏教の中心として日本を代表して唐へ渡り、学ぶ立場でした。

空海はまだ留学生という立場で唐へ渡りました。

その時点では日本での知名度は最澄の方が圧倒的に高かったのです。

空海は留学生扱いのため、20年間唐にとどまって勉強することをときの政府から命令されていました。

ところが、空海は青龍寺の恵果に厚い信頼を受け、わずか2年で密教の全てを伝授されてしまいます。

空海は、早く日本に戻って、密教を日本に広めたかったため、強引に日本に帰国します。

しかし直接近江に戻ることはできず、九州の太宰府で2年を過ごすこととなります。

勝手に戻ったことが政府に知れれば罰せられると考えたためです。

しかし、書に強い興味を持つ嵯峨天皇は、空海を重用します。

一方、先に日本に帰って、既に密教を広めていた最澄でしたが、自身の密教は完全ではないことを感じていました。

そこで、帰国した空海最澄は密教を教えてもらえるようお願いします。

既に日本の宗教のトップになっていた最澄が、唐から帰ってきた留学生に教えを乞うこと。最澄という人間の偉大さが分かるエピソードです。

空海の偉業

空海は、真言宗を世に広めたことで有名ですが、他にもさまざまな偉業を行っています。

まずは、綜芸種智院の開設です。

当時は貴族など一部の人たちにしか教育が行われていませんでしたが、唐へ行き、全人類が平等であることを学んだ空海は、一般の人たちのために開校し、教育を行いました。

 

他には、香川県にある満濃池の改修工事があります。

元々雨の少ない地域で、昔から水不足に悩まされていた地域で、効率よく水を貯めるための池の改修工事を行いました。

満濃池は、現在でも周辺地域の農業を支える大事な水を供給しています。

 

空海が、現在も歴史に残る偉人として人々から愛されているのは、ただ大きなことを成し遂げただけではなく、人々のために成し遂げた人物だからなのです。

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