死海文書に書かれている文書を全て解読すれば、キリスト教の起源が分かると言われています。
900巻もある文書であるうえに、保存状態が悪く、まだまだ解読は進んでいません。
そのことが、さらに人々の議論を巻き起こして、世界中で話題となっている魅惑の文書です。
ナショナルジオグラフィックが「死海文書の謎」DVD改名した新たな秘密を元に解説します。
死海文書の発見
イスラエル、ヨルダンに囲まれ、人間の体が浮くほどの塩分濃度を持ち、現在では有名な観光地となっている死海。
その沿岸にあるユダヤ砂漠で生活していた遊牧民の少年がある洞窟の中に入ってしまったヤギを探すため中に入りました。
その洞窟内で少年は、壺に入った巻物を見つけました。これを少年は持ち帰り、保管していましたが、結局内容が分からず、使い道もないため、安い値段で靴屋に売り渡しました。
これが全ての始まりです。
巻物は闇市場で取引されながら、その所在を転々としました。
考古学者の手に渡り、解読が始まる
死海文書は、イスラエル・パレスチナ間の紛争の中を奇跡的に生き延び、考古学者の手に渡ります。
考古学者は、この文書が歴史的に重要な文書であることに気づき、発見された周囲の調査を開始します。
発掘された死海文書、そして既に発掘されて人々の手で各地で取引されていた死海文書を全て集めると、900巻に分かれた書物でした。
それが研究者の手に渡ったときには15000にも分断されていました。
ばらばらになった死海文書を復元するのに、大変な作業時間を要しました。
そのため、死海文書は数年に一度、一部分が公刊されるという状況で、世間から非難を浴びます。
偽物説すら出てくる状況でした。
発見から40年間後となった、1991年に、ようやく全ての死海文書が公開され、世界中の研究者が見られるようになりました。
現在、その大部分はイスラエル博物館に保管されています。
死海文書の内容
死海文書は古代のヘブライ語、アラブ語、ギリシャ語で書かれています。
死海文書は旧約聖書の写本を行った部分があり、歴史的に非常に重要な文献です。
使われているインクや紙を調べたところ、ちょうど紀元前から紀元後くらいに書かれたものであることが分かっています。
この文書は、旧約聖書と新約聖書の間くらいで書かれたものというのです。
死海文書は誰が書いたのか
その後、死海文書が見つかった周辺の洞窟からも、巻物の続きが次々と見つかりました。
調査が進むにつれ、ユダヤ教徒のエッセネ派と呼ばれる人たちが、ユダヤ教の堕落を嫌い、この洞窟周辺のユダヤ砂漠に逃れたという書物もあり、この人たちが死海文書を作ったという説が有力であることが分かってきました。
洞窟のすぐ近くにあるクムランの遺跡からは、写本が行われたと考えられる部屋が見つかり、その中にインク壺が見つかっています。
クムランの遺跡では、たくさんの生活の跡が残っています。
クムランの遺跡は最大200人が住んでいたと考えられています。
クムランの遺跡は、誰が何の目的で作ったものなのか、まだよくわかっていません。
その場所で死海文書が書かれていたと主張する人もいます。
クムラン遺跡から直接死海文書が発見されたわけではなく、遺跡に住んでいた人々と、死海文書との直接的なつながりは見つかっておりません。しかし、クムラン遺跡の解明を進めることが、死海文書の謎をとく鍵となると考えられています。
銅の巻物
死海文書の中で、最も謎の多い文書として、「銅の巻物」があります。
現在は、ヨルダンの考古学博物所に保管されています。
これは、名前のとおり銅に直接書かれています。
この巻物の一番の特徴は、財宝のありかが刻まれているということです。
他の死海文書に記載されている内容は、物欲や物質主義を嫌っていたため、財宝のありかを残すこと自体に違和感があります。
解明のため、文書が示す場所で、発掘調査が進んでいます。
今も進む死海文書の解読
現在でも、世界中で様々な学者たちが死海文書の解読を進めています。
今後、解読が進めば、世界の歴史がひっくり返るような事実が発見されるかもしれません。
たったひとつの文書で、世界の歴史が変わる。とてもワクワクします。
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