東京タワーが作られたのは、昭和33年です。
当時世界一の高さを誇った333メートルの塔。
「世界一のテレビ塔を東京に。」
20代の若者たちが中心となり工事を行いました。
そのひたむきな若者たちのドラマを本人たちへのインタビューで振り返る、プロジェクトX中期の映像です。
東京タワー工事の難しさ
昭和30年代、当時日本にはテレビを持つ人が増え、各テレビ局がそれぞれの電波塔を建て、東京は塔であふれかえっていました。
塔の高さは150mくらいで、あまり広い範囲をカバーできていませんでした。
これでは、家でテレビを観る人はチャンネルを変えるたびにアンテナの向きを変えなければいけない状態でした。
関東全体をカバーできるような電波塔を作りたい、これが東京タワーの始まりです。
設計上ワイヤーで支えずに、鉄骨の組み上げだけで作るという、難工事を行うこととなりました。
設計を行ったのは、タワー作りでは日本一の男、内藤多仲。
大阪通天閣を手掛けた人物でした。
東京タワーを作った人たち
東京タワーの難工事に選ばれたのは、戦後の復興工事で大活躍した命知らずの黒崎組でした。
その中で、若手の中心である同心に選ばれたのが、このDVDの主役、桐生五郎です。
東京タワーを作ることは、日本全国の建設業にかかわる者たちの憧れでした。
この工事には数ミリ単位の細かい作業が必要でした。
さらに、工事が進み塔が高くなるにつれ、工事の難易度はどんどんあがっていきます。
てっぺん付近では、常に風速10m以上の風が吹きます。
そのうえ、突然の突風により足元がゆれ、立っていることもままならない状況になることもありました。
TVの開局に合わせて工事がはじめられたため、あらかじめ工期が定められており、多少の強風であれば、工事を続けなければならない状況でした。
強風がきたら鉄骨にしがみついてしのぎ、工事を続けました。
ある日、作業員の一人が足を滑らせ、てっぺん付近から真っ逆さまに落ちていきました。
東京タワー完成へ
東京タワーの鉄骨が組みあがり、最後の大仕事は、巨大アンテナを鉄骨の上に乗せる作業でした。
急な強風により作業は中断します。
巨大なアンテナが、ワイヤーで宙ぶらりんになったままでした。
いっこうにやまない風。
このまま日が暮れてしまったら、アンテナを乗せることができません。
覚悟を決め、作業を再開します。
ほどなく、アンテナは塔の最上部に乗せられ、無事東京タワーが完成しました。
東京タワーが完成した翌年、日本を伊勢湾台風が襲いました。
風速50メートルを超える風に、東京タワーは、びくともしませんでした。
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