リリーフランキーの優しい声で懐かしの東京を語る「東京今昔散歩みち」

東京今昔散歩みち バラエティ
©NHKエンタープライズ

東京今昔散歩みち」、NHKで放送された、東京の今の姿と昔の姿を比べながら疑似散歩するDVDです。

東京の色んな場所の戦前戦後の映像を見比べられます。

DVDに登場する場所
  • 浅草
  • 上野
  • 千住
  • 神田
  • 銀座日本橋
  • 新橋
  • 池袋
  • 新宿
  • 渋谷

リリー・フランキーさんの低くやさしい声による語りが古き良き東京を思い起こさせてくれます。

浅草

隅田川にかかる吾妻橋は江戸時代最後にかけられた橋です。

吾妻橋

©東京とりっぷ

1960年の吾妻橋とは大きく形が違っています。

浅草地下街は、今では古びた地下街ですが、1950年頃は人でごった返しています。

浅草寺の仲見世は、今も昔も変わらない風景が残っています。

花やしきは、開園当初の1920年代は植物園でした。クマがいたり、滝があったり、今とは雰囲気が全然違います。

浅草六区は、1940年は漫才・喜劇・映画などの大衆娯楽の中心地として大変にぎわっていました。

浅草は、大きく変わったといっても、古きを大事にする街並みもたくさん残っていて、今でも懐かしさを感じることが出来る町だと思いました。

上野

上野駅は、1883年に開業しました。関東大震災で駅舎が全焼、1932年で130億円ほどのお金をかけてコンクリート製の駅舎を再建しました。

上野駅

©Business journal

東京メトロ本社がある場所が、1930年代、地下鉄ストアがあった場所です。

上野公園は、1876年に開園しました。

1930年代の映像も、現在と変わらず緑の多い人々の憩いの場所でした。

上野動物園は日本最古の歴史を誇ります。

1970年代パンダのカンカンとランランがきたときにはものすごい行列ができていました。

不忍池は、1930年代の映像を見ても今と同じようにみんなボートに乗っています。

千住

千住は、江戸時代は宿場町、明治時代は工業地帯、現在は高層マンションとして変化してきました。

南千住電車営業所の1950年の映像は非常に味があります。

千住大橋は松尾芭蕉の奥の細道の始まりの場所です。

1950年に今の形でできあがりました。

かつて千住には、千住火力発電所があり、巨大なえんとつ群は、おばけ煙突と呼ばれていました。

神田

神田は江戸時代から職人の町として栄えてきました。

1970年代、粋な職人さんがたくさんいました。

秋葉原には1930年代、神田青果市場がありました。

今とは似ても似つかない街並みです。

神田青果市場

1930年代、1950年代、いつの時代を見ても神田のお祭りは白熱しています。

本の町、神保町は1950年代から変わらない街並みです。古くから続く本屋さんがたくさんあります。

銀座・日本橋

一流の証である銀座。

現在は商業ビル群になっている数寄屋橋には、名前の通りかつては橋がありました。

1920年代の有楽町には朝日新聞の本社ビルがありました。

当時も日本で最も栄えた場所でした。

1950年代にあった巨大ネオンは、銀座を代表する建築物でした。

新橋

1872年、日本で初めて鉄道が開設した町、新橋

元々新橋駅は、現在の汐留駅の場所にあり、それが移設されたものです。

SL広場には、かつて1960年代、場外馬券売り場がありました。

新橋駅西口にあるニュー新橋ビルが建っている場所には、かつて飲食店が所狭しと立ち並んでいました。

東京タワーのそばにある増上寺は、昔から人々の観光の場所でした。

池袋

1960年頃の池袋駅は、当時からターミナル駅として大混雑でした。

ホームに人があふれ、ロープで人を仕切っています。

池袋ショッピングパークは、日本最初の本格的な地下街です。

池袋西口は、戦後の闇市から発展しましたが、戦後の区画整理により街並みが一掃されてしまいました。

豊島清掃工場の巨大煙突がある場所には、かつてマンモスプールがありました。

1960年代には家族連れの人たちで大いににぎわっていました。

豊島園は、開業当初の1920年代は、遊園地というよりは、庭園のようないでたちでした。

新宿

日本一の繁華街、娯楽の町でもありたくさんの企業が集まる場所でもある日本の中心地です。

戦後には新宿マーケットという巨大な闇市がありました。

鍋やフライパンに人が我先にと集まっています。

地下鉄丸の内線は、1950年代に開通したはじめての地下鉄です。

当時はまだ地下を走る電車に慣れておらず、人々は不安に思いながら電車に乗りました。

新宿駅西口には1930年頃、巨大百貨店の松屋がありました。

新宿西口にある東京都庁を中心とした高層ビル群は、1930年頃は、緑の多いのどかな風景でした。

今とは違いすぎて、言われなければ同じ場所とは思えないほどです。

新宿御苑は、今も昔も変わらず、都会のオアシスのような場所でした。

渋谷

日本の流行の発信地、渋谷

1960年代は、今とは違い若者ではなく、サラリーマンがたくさん歩いていました。

今よりもっと大人の町だったようです。

渋谷のスクランブル交差点は、1930年代は、それほど人の通行がなく、広々としていました。

1950年代、1960年代になってもまだまだ人が多いとは言えません。

現在は、1回の横断で1000人もの人が横切る交差点となっています。

1930年代の原宿は、明治神宮に参拝にいくための駅で、今よりもっと落ち着いた雰囲気を持っています。

1970年になると、現在に近いおしゃれな街になっています。露天商が立ち並んでいます。

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