直江兼続という人物についてどれだけ知っているでしょうか。
- 戦国武将の一人
- 花の慶次に出てくる人
- 「愛」と書いたカブトをかぶっている人
- 「義」という言葉を大事にした人
- 米沢藩の上杉景勝の家老
「歴史秘話ヒストリア 直江兼続 編」では、直江兼続の「義」が、実は後世に受け継がれて歴史に大きな影響を与えていた!というお話です。
直江兼続の功績と負の遺産
山形県の米沢市に上杉家がやってきたのは、関ヶ原の戦いの後です。
東北に広い領地を持っていた上杉家ですが、西軍の石田三成につき敗れた上杉家は、徳川政権により元の120万石の領地から米沢の30万石の領地に押し込められます。
かの有名な戦国大名、上杉謙信の子である上杉景勝が米沢藩の藩主となります。
通常であれば、領地の規模に合わせて家臣をクビにして、財政の再建を図るところですが、米沢は周りに徳川方の大名に囲まれていたため、常に守りを考える必要があり、家臣を減らすわけにはいきません。
藩の財政を司っていた直江兼続は、家臣の給料を三分の一にして財政を立て直すこととしました。
しかし、それだけでは家臣たちに申し訳が立たないため、率先して兼続自身の給料を十二分の一にしました。
たくさん抱えたままの家臣たちを養っていくため、土地の開墾を進め、なんとか米沢藩をを立て直すことに成功します。
しかし、この直江兼続の自身を犠牲にしてでも部下を守る「義」の心が、後々上杉家の首を絞めることとなります。
上杉三代目のときに、家継がいない事態となり、他の藩から跡取りを呼び寄せることとなってしまいます。徳川政権は、それをとがめ、上杉家は、さらに15万石に減封されてしまいます。
大量の家臣たちを抱えたままの上杉家は、財政難におちいっていきます。
そのうえ、長雨により作物の収穫が減り、ますます困窮していきます。
直江兼続の言い伝えを守り、家臣たちをクビにするわけにはいかず、上杉家はだんだんと没落していきます。
民を守るため、やむを得ず領地を政府に返上することすら考えます。
救世主 9代目 上杉鷹山
領地返上寸前となった米沢藩の窮地に登場したのが9代目当主、上杉鷹山(うえすぎようざん)でした。
「為せば成る為さねばならぬ何事も」の言葉で有名な人です。
当時、米沢藩の財政状況は、収入3万両に対し支出7万両という状況でした。
借金は16万両ありました。
借金だらけの米沢藩のかじ取りを任された上杉鷹山の思いを、本人はこう詠んでいました。
「受け継ぎて国の司の身となれば忘るまじきは民の父母」
上杉鷹山は、上杉家が格式の高い家であったことを忘れ大倹約を断行するよう指示します。
家臣の反発にあいながらも、米沢藩の民を守るため必死に倹約を進めます。
次に、藩を再建するには、作物の生産量を上げなければならないと考え、武士の次男三男を農民にしていきます。
また、他の藩から人を受け入れ、農民としたり、農民の現在を行ったりしました。
さらに、酒田市の豪商に頼りお金を借り、農民に低利で貸しつけ、農民の作った作物を豪商が輸出するという三角関係を作りました。
また米沢藩の絹織を、名産品として売り出します。
こうして、民を中心とした復興を行い、一代で全ての借金を返済することに成功しました。
上杉鷹山にも、他を思う「義」の心が受け継がれていたのです。
義を学んだもう一人の男、雲井龍雄
ときは進んで明治時代。
雲井龍雄(くもいたつお)は、米沢藩に生まれ、興譲館で学びます。
興譲館は、米沢藩四代目上杉綱憲が創り、上杉鷹山が再建した藩学校です。
雲井龍雄は、新たにできた明治政府で権力を振りかざしていた薩摩藩に反対の意思を論じていました。
しかし、政府軍の軍力に、東北の諸藩は、なすすべなく、戊辰戦争は政府軍の圧勝となります。
新政府に反抗したところで無駄であることを悟った雲井龍雄は、戊辰戦争で敗れ職を失った武士を助けたいという思いを持つようになります。
明治政府に訴えかけ、これらの浪人を天皇直属の兵とすることを提案します。
また、浪人たちを集め、新政府に反抗するのではなく、職をみつけ働くよう教育を行います。
しかし明治政府は雲井の提案に応じません。
逆に雲井たちを反乱の疑いで逮捕します。
半数が獄死。
雲井もとうとう斬首となってしまいます。
凄惨な最後を迎えましたが、雲井龍雄もまた興譲館で「義」を学び「義」に生きた男でした。
明治時代の義を生きた上杉茂憲
上杉茂憲(もちのり)は、米沢藩の13代当主でしたが、廃藩置県により沖縄県令を命じられます。
沖縄の農民たちの困窮を知った茂憲は、沖縄の税制の改善を政府に訴えかけます。
また、東京に沖縄の若者を行かせて勉強させることに尽力しました。
たった2年で県令を解任されてしまいますが、沖縄県民のために全力で中央政府と戦いました。
時代は違えど、脈々と受け継がれている直江兼続の「義」。
東北の人々の他人に対する無償の優しさは、今なお続く「義」の表れとも言われています。
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