佐藤琢磨がインディー・カーに参戦して初優勝するまでの軌跡

佐藤琢磨 インディカーレース初優勝 スポーツDVD
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佐藤琢磨 インディー・カーシリーズ初優勝までの軌跡」は、日本を代表するレーシングカードライバー佐藤琢磨が、始めてインディーレースに参加することとなった2010年から、インディカーレース初優勝の2013年までの軌跡を追ったDVDです。

日本人で唯一F1の表彰台に上がった男が、チームの資金難などにより、F1から撤退することを決め、次に選んだ舞台が、F1と並ぶ世界最高峰のカーレーシング、インディシリーズへの参戦でした。

インディーカーシリーズは、1年をかけて17戦を世界中の会場で走ります。
F1と同じように各レースの順位に応じてポイントがあり年間ランキングが決まります。

F1とインディカーの違い

  • インディカーはF1カーと違い足でクラッチを操作する
  • タイヤウォーマーがなく、どのくらいグリップするか分からない状態でレースをスタートしなければならない
    ※この違いがF1に慣れた佐藤琢磨を苦しめます。
  • レース序盤は、ブロッキングが禁止されている
    ※佐藤琢磨は最初このルールを知らない状況で序盤のレースに参加していました。
  • オーバルコースという陸上のトラックのような高速コースがある
  • インディアナポリスで行われるインディ500というレースは、F1のモナコグランプリに並ぶカーレース最高の称号

2010年、インディ初参戦

テスト走行を経て、いよいよ開幕戦ブラジルサンパウロ戦のスタートです。

佐藤琢磨はスタート直後にクラッシュ。

波乱のデビューでインディの洗礼を浴びます。

 

第2戦も開始早々のクラッシュ、完走できず22位の結果となります。

 

第3戦25位、第4戦18位で、まったく結果が残せない状態が続きます。

 

 

第5戦、初のオーバルレース、カンザス戦です。

予選11位からのスタート。

本番でも常にトップ10をキープする好調さですが、残り14周でクラッシュ、リタイアとなります。

第6戦、いよいよインディシリーズの最高峰、インディアナポリス500マイルレースへの参戦です。

予選で大クラッシュをしたこともあり31位スタート、結果は21位と奮いませんでした。

第7戦テキサス戦、レース序盤でサスペンションが壊れリタイアです。

第8戦アイオワ戦、順調に順位を上げ3位まで上がりましたが突然のクラッシュ。

はじめて表彰台を狙える位置でしたが、残念ながらリタイアです。

第9戦ワトキンスグレン戦、オーバル四連戦が終わり久しぶりのロードコースです。

ピットとの息が合わず15位でフィニッシュです。

第10戦トロント戦、15周目でチームメイトとクラッシュしリタイアです。

第11戦エドモントン戦、ノートラブルで終え、今期ベストの9位フィニッシュです。

第12戦ミッドオハイオ戦、予選自己ベストの3位からスタートです。

ピットで大幅タイムロス、焦ったリスタート直後でクラッシュ。

第13戦ソノマ戦、予選が振るわず本番でも14位フィニッシュ。

第14戦シカゴランド戦、ピットアウトでチームメイトと接触しリタイア。

第15戦ケンタッキー戦、オープニングラップでクラッシュとなりリタイア。

第16戦もてぎ戦、母国にヒーロー凱旋です。

スタート直後に乱気流で順位を落としますが、少しずつ順位を上げ12位完走します。

第17戦マイアミ戦、最終戦です。よいところがなく18位でフィニッシュです。

 

デビューイヤーはランキング21位という結果になりました。

リタイアだらけ、最高順位は第11戦の9位という不本意な結果に終わりました。

 

2011年、希望の年

2011年東北大震災の年、佐藤琢磨は積極的にチャリティー活動を行い、被災地の支援を行います。

 

開幕戦セントピーターズバーグ戦、いきなりの5位フィニッシュと前年最高位を大きく更新します。

第2戦アラバマ戦、他者のスピンに巻き込まれますが、何とか立て直して16位フィニッシュ。

第3戦ロングビーチ戦、クラッシュに巻き込まれてリタイア。

第4戦サンパウロ戦、雨のレースです。はじめてレースのトップに立ちます。独走体制となりましたが、イエローフラッグが出ることを予想して給油を行わないまま後半を迎える作戦が失敗します。残り6周で給油を行い、8位フィニッシュ。

作戦ミスにより惜しくも初優勝を逃します。

第5戦、いよいよインディアナポリス戦です。この日最初のクラッシュが佐藤琢磨でした。悔しいリタイアです。

第6戦テキサス戦、ダブルヘッダーで、5位、12位という成績を残します。

第7戦ミルキーウォー戦、ピットロードでラインが交錯して大きく順位を落とすが、8位フィニッシュ。

第8戦アイオワ戦、初のポールポジションスタートです。ナイトレースの難しさにつかまりスピン、リタイアとなります。

第9戦トロント戦、わずか8週でクラッシュ、復帰するものの20位で終わります。

第10戦エドモントン戦、今期2度目のポールポジションです。タイヤのタレで4位まで順位あげますが、他車のクラッシュによりピットインしタイヤ交換、そこから盛り返し3位となり、残り2台を追いかけますが、佐藤琢磨がパスしようとした瞬間に相手がかわせない位置に入ってしまいクラッシュ、不運なリタイアとなってしまいます。

第11戦ミッドオハイオ戦、自己ベストの4位フィニッシュですが、おしくも表彰状を逃します。

第12戦ニューハンプシャー戦、2位まであがるが、トップと接触しタイヤ交換を余儀なくされます。8位まで落としますが、雨でイエローフラッグ、再開後の前の車両がスピン、それに巻き込まれてリタイアです。

第13戦ソノマ戦、タイヤ選びの失敗もあり18位フィニッシュ。

第14戦ボルティモア戦、初開催です。残り2周でクラッシュしなんとか18位で完走します。

第15戦もてぎ戦、東日本大震災での被災でコースが壊れ、急きょロードコースに変更、日本でのインディは最後の開催となります。イエローフラッグからの再開でチームメイトと接触しますが、なんとか10位でフィニッシュです。

第16戦ケンタッキー戦、15位でフィニッシュです。

第17戦ラスベガス戦、最終戦です。11周目に大クラッシュが発生しドライバーが帰らぬ人となります。

レースは途中終了となりました。

2年目は第11戦の4位が最高でした。前年よりはリタイアも減り大きく記録を伸ばしました。

2012年 飛躍の年

この年から、マシンが大きく変わることとなります。

ボディ、シャシー、エンジンに大きなルール変更がありました。

佐藤琢磨の所属チームも変わり心機一転新しいシーズンを迎えます。

開幕戦セントピーターズバーグ戦、予選は14位と奮わなかったが、本戦ではジワジワと順位をあげトップを走るまでになる、しかしピットでの電気トラブルの発生によりリタイアとなります。

第2戦アラバマ戦、またもマシントラブルによりリタイアとなります。

第3戦ロングビーチ戦、予選6位とようやく調子をつかみはじめます。3位で最終ラップを迎え、初表彰台直前、コーナーで接触を受けリタイアとなります。

開幕から3戦連続リタイアと、不穏なスタートです。

第4戦サンパウロ戦、何度も何度もイエローフラッグが起こり、リスタートのたび順位をあげていき、3位、初の表彰台に上がります。

第5戦インディアナポリス戦、いよいよインディ500への3回目の挑戦となります。

シボレーエンジン対ホンダエンジンの戦いとなります。

予選ではシボレーエンジン勢がトップを独占。ホンダエンジンの佐藤琢磨のマシンは苦しいスタートでしたが、灼熱の熱さにシボレーエンジンが苦しみ、燃費のいいホンダエンジンがジワジワと追い上げます。

なんと、佐藤琢磨は最終ラップで2位に付けています。

最終ラップのコーナーで佐藤琢磨が仕掛けます。

コーナーのわずかなスキをつき前に出ようとします。

その瞬間、、、スリップ、佐藤琢磨のマシンは壁に叩きつけられリタイアとなります。

歴史的な快挙まであと一歩ほんの一歩が、目の前で幻に消えました。

優勝のため最終ラップで勇気を持って飛び込んでクラッシュとなったこの出来事は今だインディ500の名勝負の一つとして語り草となっています。

第6戦デトロイト戦、荒れた路面にハンドルを取られてクラッシュ。

第7戦テキサス戦、6位まで順位をあげますが、単独クラッシュによりリタイアします。

第8戦ミルウォーキー戦、108周目でクラッシュ。4戦連続でのクラッシュとなってしまいます。

開幕直後に続き、今度は4戦連続でのリタイアとなってしまいました。

第9戦アイオワ戦、完走はしましたが12位と奮いません。

第10戦トロント戦、何とか9位でフィニッシュです。

第11戦エドモントン戦、手堅いレース展開で3位をキープします。レース終盤、2位にあがった佐藤琢磨は、カストロネベスとの壮絶な1位争いとなりますが、最後まで抜き去ることができませんでした。

しかし、キャリアハイの表彰台2位の位置に立ちます。

第12戦ミッドオハイオ戦、13位完走とふるわない結果に終わります。

第13戦ソノマ戦、エンジントラブルによりリタイアです。

第14戦ボルティモア戦、佐藤の得意な雨のレースです。

トップをキープし続け、圧倒的な差を付けますが、またしてもエンジントラブルによりリタイアを余儀なくされます。

第15戦カリフォルニア戦、2012年の最終戦です。

予選からのエンジン交換によりスタート位置を落としますが、調子のよい佐藤琢磨はジワジワ追い上げ残り23周で一時トップに立ちます。その後は無難に走りきり7位に終わります。

この年は2位、3位と表彰台にも2回上がり、いつ優勝するのかとみんなが待ち望んでいる状態でしたが、惜しくも届きませんでした。

2013年 伝説の年

4年目、AJフォイトレーシングへ移籍した佐藤琢磨のシーズンが始まります。

伝説のドライバーAJが、インディ500での佐藤琢磨の走りを見て「あれは俺のドライバーだ」と言ったことが移籍のきっかけとなりました。

開幕戦セントピーターズバーグ戦、イエローフラッグが頻発するトラブルの多いレースでしたが、冷静に対処して8位フィニッシュです。

第2戦アラバマ戦、マシントラブルがあるも、何とか14位でフィニッシュ。

第3戦ロングビーチ戦、予選4番手からのスタートです。

良いスタートで3位につけ、前を走るハンターレイを追いかけます。ハンターレイは1年前のロングビーチ戦で、後ろから佐藤琢磨に追突し、佐藤琢磨の表彰台が消えた因縁の相手です。

淡々と後ろにつけ、あっさりと抜き去ります。

トップのダリオとの差をじわじわと詰めていきます。

ダリオがピットで失敗。ソフトタイヤを温存していた佐藤琢磨は完璧に1位をキープします。

イエローフラッグが佐藤琢磨のピットインにとって最高のタイミングで出て運も味方します。

後続のマシンが全く追いつけません。

あまりの調子の良さ「このラップタイムでこの燃費はありえない」とチームが混乱するほどでした。

何もかもが完璧なレース展開で他を寄せ付けない優勝です。

ゴール後、マシンの上に立ち日の丸を掲げる姿は、何度見ても震えが止まらない瞬間です。

日の丸

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さらなる伝説へ

このDVDは2013年インディーカーシリーズ初優勝の瞬間までの映像となります。

その後、佐藤琢磨はインディに参加し続け、苦しいシーズンもたくさん経験します。

そして、2017年、、、信じられない伝説が起こります。

日本人初、アジア人初のインディ500での優勝を飾るのです。

そのときのチームメイトにはF1のスーパースター、フェルナンド・アロンソがいます。

F1の最高峰レースといわれるモナコグランプリを欠場してまでもF1選手が参加するインディ500が、どれほどすごいレースなのかが分かります。

 

佐藤琢磨は日本人に大きな感動と誇りを与えてくれました。

まだ彼の挑戦は続きます。

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