今回紹介するDVD「イチロー メジャーへの軌跡」は、1973年にイチローが生まれてから、2000年に日本人初の野手メジャーリーガーになるまでのストーリーを1本の動画にまとめたものです。
動画で紹介されているイチロー伝説
- 高校通算打率5割越
- プロ入り3年目で日本プロ野球安打数記録を更新
- 1995年に史上初打者5冠を獲得
- 1998年まで4年連続首位打者
オープニング
オープニングでは、イチローの成長を切り取ったワンシーンの映像が次々と流れます。

©(株)ポニーキャニオン
まだ高校生のイチローですね。
イチローがドラフト4位指名だったのは、当時体が出来上がっておらず、投手としてプロで活躍できるのか疑問であると各球団のスカウトが判断したからといわれています。
確かにまだ体つきが普通の高校生だな、と感じる一枚です。
もしこのときスカウトがバッターとしてのイチローの才能を見極めることができていれば、もっと違ったドラフトになっていたでしょう。
高校通算打率は5割を超えていたイチローですが、当時のドラフトでは中距離バッターの外野手をドラフト上位に指名するという概念自体がなかったのです。
イチローオリックス入団

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これは、鈴木一朗が仰木監督と出会い「イチロー」に改名する直前の写真です。
1年目、2年目は2軍で首位打者になれるほどの打率を残していたのですが、コーチ陣と合わず1軍に定着することができませんでした。
イチロープロ3年目の改名と覚醒
3年目に仰木監督と出会い、登録名を「鈴木一郎」から「イチロー」へ変え、伝説が始まります。
1994年、日本プロ野球初の200本安打を達成、最終的に210安打、打率.385という記録を残しました。
1995年から1998年まで記録づくめ
1995年シーズンは、
- 首位打者
- 打点王
- 盗塁王
- 最多安打
- 最高出塁率
という5冠を獲得し、スーパースターとなりました。

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これまでの映像と違い、スターの風格が出始めています。

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1994年から1998年まで前人未到の5年連続首位打者を獲得したイチローが、マリナーズのキャンプに参加した映像です。
当時マリナーズはオリックスと業務提携しており、オリックスの複数の選手がキャンプに招待されたのですが、これがイチローがメジャーリーグを目指す大きなきっかけとなりました。
イチローは天才か?

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2000年秋、マリナーズ入りを決めた後のイチローのインタビュー映像です。
「ファンはイチロー選手を天才と言うが、どう思うか?」という質問に対する、イチロー節の回答です。
「人は何をもって天才というのか。」
「努力をしないでヒットを打つのが天才だとしたら、自分はそうではない。」
子供の頃のイチロー
3歳のときプラスチックのバットとボールをもらったのがイチローと野球の出会いです。
小学校に入ると毎日、父と二人で野球の練習をしました。
そのときすでに、「一流のプロ野球選手になる。それだけの練習はしている。」と作文に書いています。
愛工大名電の当時の監督は、イチローは人から見られないように隠れて夜中に練習していたといいます。

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プロで自信を持ったきっかけ
イチローのプロ1年目は、2軍で首位打者でしたが、2年目に1軍に定着することができませんでした。
2年目終了後にハワイのウインターリーグに参加したことが一つの転機となります。
未来の大リーガーたちの中でベストナインに選ばれ、自信を付けます。
3年目、伝説の始まりです。
仰木監督との出会い、「鈴木一郎」から「イチロー」への選手名変更、そしてヒットを量産します。

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スーパースターへの階段を一気にかけ上がります。
イチローのスランプ
イチローがスーパースターになるにつれて、ファンが期待する数字に追いかけられるようになります。
イチローはインタビューで、「数字は残っているけど、前進はしていない。後退していないだけ。」といったことがあります。
イチローはファンが作るイチロー像と、自分の中のイチロー像との違いに悩み続けることとなります。
99年、イチローは一時期打率2割2分と不振にあえいでいました。
後のインタビューで、「1995年から1999年の4月11日までスランプだった。」と言っています。
首位打者を獲得し続けながら、スランプに悩んでいたのです。
そして、1999年4月11日の西武戦で平凡なセカンドゴロを打った際に、スランプから脱したといいます。イチローの中で常人には分からない感覚的な閃きがあったのです。

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そのセカンドゴロの映像もDVD内で流れていますが、特に変わったところはなく、そのゴロでイチローが何に気付き、何を閃いたのかは本人にしか分からない世界です。
イチローとメジャーへの憧れ
イチローは少年の頃、グラウンドに立ってボールを打つだけで楽しかったといいます。
その気持ちがプロになった後でもイチローを突き動かしています。
プロになって、ある出来事が起こるまでは、イチローはメジャー挑戦は特に意識していませんでした。
ところが、96年日米野球を経験したイチローはすぐに球団にメジャー行きを直訴します。
そのときにイチローがメジャーリーガーに感じたのは、少年のように野球を楽しむ人たちだということでした。
そんな人たちがいるメジャーに行って野球がしてみたいと思ったのです。
99年にマリナーズのキャンプに参加したイチローは、冗談まじりに「帰りたくない。」と言いました。
このときには、近い将来絶対にメジャーに挑戦することを強く心に決めていました。
イチローのメジャーへの夢が叶った日
2000年10月13日、イチローがメジャーリーグへの挑戦を発表した翌日、神戸のスタンドはイチローの日本での最後の雄姿を見たい観客でいっぱいでした。

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ファンへの感謝とさみしさを語るイチローは今にも泣きそうな表情でいて、覚悟を決めた男の顔でした。

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2000年12月1日、はじめてマリナーズのホームグラウンドに立ったイチローは、かみしめるように球場の雰囲気を確かめていました。

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「走っても打っても、そのひとつひとつが楽しい。」と笑いました。
メジャー挑戦直前のイチロー
メジャー行き直前になっても、いつものように深夜にウエイトトレーニングをしながら必死でバットを振るイチローは変わりません。
国が変わり、言葉が変わり、文化が変わっても、ただひたすらに野球に夢中に取り組み続けるイチローがそこにはいます。
このDVDは、メジャーリーグ挑戦を決めたところまでとなっていますが、その後にメジャーで打ち立てた数々の伝説は、今だに私たちの脳裏に焼き付いています。
惜しまれつつ2019年に引退したイチローですが、残してきた功績は計り知れない大きさです。
イチローと同時代に生きて、その伝説を同じ時代に共感できたことに感謝します。
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