ツール・ド・フランスの過去100年の歴史を振り返る

ツール・ド・フランス 100年の栄光 スポーツDVD
©ジェネオン・ユニバーサル・エンターテイメント

ツール・ド・フランスは、その名のとおりフランスで行われている自転車競技の最高峰のレースです。

ツール・ド・フランスは直訳すると「フランス1周」で、23日間でフランス中3300kmを走る壮大なレースです。

2013年に第100回大会を記念して作られたDVD「ツール・ド・フランス 栄光の100年」は、過去99回の歴史の中で伝説となった数々の記録を収めた永久保存版の作品です。

DVDを観た感想

  • 古い時代の貴重な映像が見られる
  • ツールドフランスの歴史や時代背景、有名選手などがごっちゃになって説明されていて素人には分かりにくい
  • 抑揚のない解説がすごく落ち着く
  • たくさんの選手が紹介されていて導入編の知識としては良い
  • ヨーロッパの暗い歴史にも知識が及んでいる

1910年代~1920年代のツール・ド・フランス黎明期

初期のツールドフランスは夜中にスタートして両肩にスペアタイヤを抱えて400キロ以上を18時間かけて走っていました。

現在のようにサポートカーはなく、選手は自分で修理を行い、食糧や寝床も確保しなければならないルールでした。

当初は、賞金もごく小額で、苦痛と疲労とのの闘いでした。

現在は賞金総額2億円を超える大規模レースです。

第一次世界大戦で4年間休止された後、1919年に復活したツールで、スター選手を見分けるため黄色の服が着せられたそうです。

ここでツールドフランスのイメージカラーの黄色が産まれました。

現在では、黄色いジャージ「マイヨ・ジョーヌ」は総合成績1位の選手のみに与えられ、英雄のような扱いを受けます。

1920年代には、ペリシエ兄弟という有名な選手二人が、レースの過酷さに耐えるためにチーム内でコカインが使われていることを暴露し、レースを辞退するという事件が起こりました。

1930年代の改革

ツールドフランスは徐々にファンを増やしていき、次第にスポンサーによる宣伝合戦に利用されるようになります。

そのような商業的な変化に歴史と伝統を重んじるフランスの人々は違和感を覚え始めました。

1930年代になると、商業的な部分を減らそうと、選手たちはナショナルチームに所属するようになりました。

第二次世界大戦とツール・ド・フランス

1940年、第二次世界大戦が始まると、ツール・ド・フランスは休止されます。

戦後、フランスは立ち直りに苦労します。ツール・ド・フランスも土台から作り直す必要がありました。

1947年、やっとツール・ド・フランスが再開します。

時代はまだ物資の不足により食糧が配給制の頃でした。

再開直後こそ苦労しましたが、そこから30年間にわたってフランスは大きく経済発展し、栄光の時代と呼ばれます。

それに伴いツール・ド・フランスも大きく発展します。

先導車も分かりやすく派手になっていきます。

先導車

©ジェネオン・ユニバーサル・エンターテイメント

スター選手たちの時代

そこから、ツール・ド・フランスは次々とスーパースターを輩出します。

1978年からツール・ド・フランスを5回優勝したベルナール・イノーと、、グレッグ・レモンの二人のライバルとしての戦いは、今でもツール・ド・フランスの伝説です。

1985年のツール・ド・フランスで、イノーを5連覇させるためチームはレモンにイノーのサポートに付かせました。
翌年はイノーがレモンのサポートに付くことを約束しますが、それを裏切ってレモンを置き去りにします。

 

そして1999年からは、2005年までのツール・ド・フランスで前人未踏の7連覇を行うレジェンド、ランス・アームストロングが現れます。

ランス・アームストロングは、後にドーピング疑惑により全ての記録を抹消されるという、自転車競技を知らない人々にすら衝撃を与える選手となりました。

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