世界の格差の真実に迫る衝撃作品 「銃・病原菌・鉄」ナショナルジオグラフィック

銃・病原菌・鉄 ドキュメンタリー
©ナショナルジオグラフィック社

「銃・病原菌・鉄」は、ジャレド・ダイアモンド氏による人類史の研究をナショナルジオグラフィック社が追いかけた作品です。

ジャレド・ダイヤモンド

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ジャレド・ダイアモンド氏はカリフォルニア大学ロサンゼルス校の教授です。
銃・病原菌・鉄」は、ジャレド・ダイヤモンド氏が執筆した世界的ベストセラー書籍を映像化したものです。

なぜ世界の国と国の間にこれほどの格差が生まれてしまったのか。

その真相に迫ります。

なぜ「人類の格差」の研究を始めたのか

ジャレド・ダイアモンド氏は、元々野鳥の研究を行うためにパプワ・ニューギニアへ来ていました。

30年前にニューギニアの先住民から次のようなことを言われ世界の格差に興味を持つようになりました。

「なぜ白人は私たちよりたくさんのカーゴを持っているのか」

カーゴとは、直訳すれば「貨物」のことですが、ここでは「財産」を意味します。

これが、ジャレド・ダイアモンド氏が人類の格差を研究するきっかけとなりました。

ニューギニア人は自然への素晴らしい適応能力を持っているのに、アメリカ人より貧しい生活をしているのか。

この疑問が全てのスタートでした。

なぜニューギニアの先住民族を研究するのか

エジプト文明ギリシャ文明など過去の文明を解き明かしていくと、財産を持つ者と持たざる者に分かれていることに気が付きます。

その頃にはすでに人類の格差は生まれてしまっていたのです。

そこで、人類が狩猟生活をしている頃までさかのぼって研究を進めました。

そのためには、現在でも狩猟生活をしている民族を訪ねることが鍵になると考え、ニューギニアの熱帯雨林に住む先住民族のところへ向かいました。

ニューギニアの先住民から格差社会を考える

狩猟と農耕の違い

ニューギニアの先住民は、昔からサゴヤシと呼ばれる穀物から栄養を取得していました。

それに比べ中東では、狩猟時代から大麦、小麦を食べていました。

地球に寒冷期が来た際、中東の人々は自ら大麦、小麦を植えて農耕をはじめました。

これが世界最初の農民といわれています。

この狩猟民族農耕民族の差が格差の開始ではないかとジャレド・ダイアモンド氏は考えました。

しかし、調べていくとニューギニアの一部地域では農耕が発達しているところがあることが分かりました。

ニューギニアでは他の農耕地域と違い文明が発達しなかったのです。

これにより狩猟生活と農耕生活が格差の要因となったわけではないことが判明しました。

農作物の違い

その他の理由を探しますが、ニューギニアでは、タロイモやバナナを栽培していました。

これらは保存が効かず、たんぱく質が少ないなど、他の農耕地域に比べ不利な農作物を育てていたのです。

「質の高い作物が育つ場所」という場所的な要素が人類の格差を生んだと考えられました。

家畜の違い

ジャレド・ダイヤモンド氏は、次に動物の家畜化が格差を広げたと考えます。

動物を家畜化することで動物を食べるだけでなく、大型動物に耕作を手伝わせることで作業効率が大幅にアップしました。

動物の家畜化は農耕作業と相性がよく、農作業が発達した地域で動物の家畜化は進んだのです。

家畜化できる牛や馬が生息している地域と、そうでない地域で格差が広がりました。

製鉄技術の発展による格差の拡大

農耕生活が安定し、村に人が増えてくると様々な専門家が現れることになります。

芸術家や発明家などが生まれ、村に新たな技術が生まれました。

それらの芸術家から、火を使って漆喰を作る技術が生まれます。

これが製鉄技術の発展につながり、中世時代の格差の広がりが決定的なものとなっていきます。

中世ヨーロッパでの格差の拡大

武器による格差

1532年、フランシスコ・ピサロ率いるスペイン軍インカ帝国を攻め滅ぼしました。

このときスペイン軍には1人の死者も出ませんでした。

なぜ「持つ者と持たざる者」にこれほどの差が開いてしまったのか、ジャレド・ダイアモンド氏は次にこの差を探す旅に出ます。

1500年代初頭、スペインはまだイスラムの支配から逃れたばかりで、農耕生活が主の国でした。

それが、たった30年で近代兵器を備えた最強の軍を持つ国家となったのです。

1500年当時スペイン人は銃を持っていましたが、まだまだ敵に当てられるほどの精度はなく、鋼鉄の剣が主流の武器でした。

しかし、その鉄の剣ですら、インカ帝国には存在していなかったのです。

ヨーロッパ以外の地域では、まだ青銅器の精製がはじまったばかりだったのです。

病原菌による支配

それでもインカ帝国は8万人の兵を抱える大帝国で、武器の差だけでは簡単には滅びません。

スペイン人は知らず知らずのうちにインカ帝国にさらなる凶悪な武器を持ち込みます。

天然痘です。

ヨーロッパでは既に天然痘の大流行を繰り返し、耐性を持つ人が増えていましたが、インカ帝国の人々はそうはいきません。

インカ人の中で大流行した天然痘は帝国全土に及び丸ごと滅びる原因となりました。

最後の地、アフリカの探検

ジャレド・ダイアモンド氏は、最後に「銃・病原菌・鉄」がアフリカ大陸に何をもたらしたかを調査しました。

アメリカ大陸アジア大陸のほとんどを征服したヨーロッパ人たちは、世界中に鉄道を建設していきました。

そして、最後の地、アフリカ大陸を制覇しに出発しました。

アフリカ大陸に到着したヨーロッパ人は、これまでと同様に病原菌をまき散らし、原住民の多くがこれにより死ぬこととなりました。

そして、これまで同様に(剣)を使い軍事力で先住民を圧倒していきます。

アフリカには好戦的な部族、ズールー族が存在していました。

ズールー族は相手の武力など気にせず、ただ相手を倒すために突っ込んできます。

そこでヨーロッパ人たちは銃を撃ち、弾をを込めている間に次の銃を用意しておき時間を短縮する戦法で戦います。

長篠の戦いで織田信長が武田軍に対して使ったとされる(諸説あります)戦法と同じものです。

ヨーロッパ人は圧倒的な火力でズールー人を滅ぼしました。

これは「ブラッドリバーの戦い」と呼ばれていて、銃が本格的に戦争の主役となった瞬間でした。

ヨーロッパがアフリカにもたらした最大の悲劇

ヨーロッパ人はアフリカを一気に開拓していきますが、逆に先住民がばら撒く病原菌にやられることになります。

蚊を媒介して感染するマラリアです。

さらに、アフリカを北に行くと熱帯地域になり、ヨーロッパで通用する農業が全く通用しないのです。

しかしアフリカ大陸に存在する鉱物資源を狙うヨーロッパはあきらめません。

定住することが無理ならば、そこにある資源を運び出せばよいと考えます。

原住民たちを強制労働させ、熱帯地方から南端の喜望峰まで続く鉄道を開通させ、物資を運び出します。

これまでマラリアを媒介する蚊がたくさん住む川の近くなどを避け山の上に住んでいた原住民たちは、ヨーロッパの植民地化の影響で低地に集まって住むことを余儀なくされました。

それが、アフリカ大陸でマラリア患者を爆発的に増やしてしまったのです。

ヨーロッパの植民地化は終わりましたが、アフリカの人々は現在もマラリアの脅威におびえながら暮らしています。

アフリカ大陸が今でも経済発展できない大きな要因となっているのはマラリアが大きな原因と言われています。

この作品が伝えたいこと

世界の格差を生んだのは、地理的な要因が大きく、ただ運がよかったに過ぎないのです。

決して民族として優れた知能や肉体を持っていたという理由ではないのです。

それなのにただ運がよかった人たちが優雅に暮らし、その影で今も苦しい生活を送っている人たちがいます。

過去は変えられませんが、これからを生きる人たちがどのようにこの問題と向き合い解決のために協力し合っていくのかが問われています。

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