諸葛亮公明と劉備玄徳の出会いが奇跡を起こした

諸葛亮孔明 ドキュメンタリー
©NHK

「その時歴史が動いた~諸葛亮孔明編~」は、劉備玄徳(りゅうびげんとく)諸葛亮公明(しょかつりょうこうめい)の出会いから、中国三国時代の歴史がどのように変わっていったのかを描いた作品です。

中国三国時代は、歴史書「三国志」で有名な西暦200年頃の中国の戦乱の世の実話に基づく話です。

三国志は、魏・蜀・呉という3つの国を描いた物語ですが、その中でも人望に厚く人気を集め、物語の主人公になったのがという国を作った劉備です。

劉備はもともとは財も軍ももたないただの村人でした。

その劉備が裸一貫から皇帝まで上り詰めた大きな要因となったのが天才軍師、諸葛亮孔明です。

 

三顧の礼

©NHK

 

弱かった劉備軍

劉備は小さな頃から家の近くの木に登り、「皇帝になる」と言っていたそうです。

劉備は前漢の皇帝の末裔とされていますが、父の代には既に小さな村の地主レベルまで落ち込んでいました。
その父を幼い頃に亡くし、母と二人貧しい幼少期を過ごしました。

西暦184年に黄巾の乱が発生すると、劉備関羽張飛らとともに義勇軍を作り活躍し名を上げます。

劉備軍はどんどん戦果をあげていきますが、元々富も兵力も少ない劉備軍は兵力を増強することができず、西暦200年、曹操の軍に敗れてしまいます。

劉備は荊州(けいしゅう)に逃げ込み、その後6年もの無駄な時間を過ごし46歳となってしまいます。

天才孔明との出会い

そんな中、劉備はある天才のうわさを聞きつけ希望を見出します。

それが諸葛亮孔明です。

世間から離れ郊外の小さな家に住んでいた孔明ですが、街中の人が知る天才でした。

人はそんな公明のことを「臥龍」と呼びました。

ここで有名な「三顧の礼」が行われます。

劉備は三度も孔明の元を訪れ、その礼儀の深さに公明は心を打たれて協力することを決めたのです。

実際は、1度目、2度目に訪れた際に孔明が不在だったため3度行ったという説がありますが、この出会いはドラマチックに描かれることが多いです。

劉備はどうやって孔明を見つけ出したのか?

気になるのは、どうやって劉備孔明のことを知ったのか、ということです。

当時の中国には、いわゆる「人物鑑定人」という職業の人がいたのです。

人物鑑定人は人の素性と知見を調べて人物を評価する会を開いていました。

その会合で劉備は孔明の友人である徐庶と知り合い、彼のことを知ったのではないかと言われています。

劉備軍の反撃開始

天才軍師孔明を手に入れた劉備ですが、そこには曹操という強大な敵が待ち構えています。

そこで、公明は曹操孫権を争わせることを考えます。

しかし曹操軍は20万、孫権軍は3万、戦力に差がありすぎました。

孫権軍は曹操に降伏することを考え始めていました。

そこで孔明は孫権を訪れ、「早く降伏すればいい。劉備軍は曹操ごときに降伏することはないが。」と挑発します。

赤壁の戦い

曹操打倒を目指した孫権を動かすことに成功したことにより三国志のクライマックス「赤壁の戦い」が始まります。

圧倒的な曹操の軍事力に対し孔明が取った作戦が、「東南の風」です。

「東南の風」とは、船に火をつけ、それを曹操軍の船に突っ込ませる際に風を吹かせて延焼を広げる作戦です。

このとき孔明は儀式を行い神風を呼んだとされていますが、近年の研究では、事前に現地の人々に調査を行い東南の風が吹くことを知っていたという説が有力です。

そして、見事曹操軍に大打撃を与えることに成功しました。

これ以降、劉備は歴史の表舞台に立ち、曹操孫権劉備が並び立つことになります。

その後の劉備と孔明

赤壁の戦いの後、領地荊州(けいしゅう)の隣の益州(えきしゅう)で争乱が起き、劉備は立ち上がり平定し、(しょく)を建国します。

しかし、孫権軍の裏切りに会い、関羽張飛が命を落としてしまうことになります。

義を重んじる劉備孔明を置いて、孫権に復讐の戦いを挑むこととなりますが、天才軍師孔明関羽張飛のいない状況では歯が立たず大敗北を喫してしまいます。

死の間際の劉備と孔明

病に伏せた劉備は、死の間際に孔明を呼びこう伝えたます。

「もし、わが子の才能が君主にふさわしくないと思ったら、無理することはない。君がとってかわって君主となってくれ。」と言います。

それに対し孔明は涙を浮かべ「私はあくまでも家臣として補佐に徹し死ぬまで劉備どののご子息に尽くします。」と答えます。

劉備の中華統一の夢は、諸葛亮孔明にゆだねられることとなりました。

歴史が学べるDVD

借金をして日本のために私財をつぎ込んだ政治家・大久保利通

伊達政宗は豪快なイメージが強いけど知略で戦国を切り抜けた武将

ムロツヨシ×福田雄一の最強コンビ「ドラマ新解釈・日本史」

コメント