野茂英雄が海を渡りメジャーリーグで大旋風を巻き起こしたのが1995年、それからたくさんの日本人が海を渡りメジャーリーグに挑戦してきました。
2004年から2007年はその黄金時代ともいえ、たくさんの選手が海を渡りました。
その日本人メジャーリーガーの黄金期をまとめたDVDが「MLB日本人メジャーリーガー熱闘譜2004~2007」です。
イチロー
イチローが日本人野手初のメジャーリーガーとして海を渡ったのは2001年です。
初年度から毎年200本安打を重ね、いよいよ絶頂期を迎えたのが2004年です。
この年イチローは年間262安打というメジャーの歴史を塗り替える金字塔を打ち立てます。

©メジャーリーグベースボール
84年前にジョージ・シスラーが打ち立てた不滅の記録、年間257安打は永久に誰も越えられない記録として輝いていました。
あまりにも簡単にヒットを重ねるイチローのバットは対戦する相手から魔法の杖と呼ばれました。
さらに2001年から2007年までの7年連続で200本安打とゴールデングラブ賞にも輝きます。
そして2007年のMLBオールスターゲームではランニングホームランを打ちMVPに輝くという快挙まで成し遂げます。
しかし、イチローの伝説はまだ途中なのです。
第1回ワールド・ベースボール・クラシック
2006年という年は日本野球界にとって記念すべき年です。
第1回ワールド・ベースボール・クラシックが開催されたのです。
1次リーグを2勝1敗の2位で通過した日本は2次リーグで韓国、アメリカに敗れもはや大会は終了したかに思われましたが、メキシコがアメリカに勝つという奇跡が起こり1勝2敗で並んだ3チームのうち日本が勝ち上がりました。
準決勝で宿敵韓国を破った日本代表は決勝のキューバ戦でも輝きを見せワールド・ベースボール・クラシックの第一回優勝国という栄誉を手に入れます。

©メジャーリーグベースボール
福留孝介の3ランホームランは今でもファンの記憶に残っています。
イチローは会見で「これは僕の野球人生にとって、最も大きな日と言っていい」という言葉を残しています。
松坂大輔
ワールド・ベースボール・クラシックで世界にその実力を見せつけた松坂大輔は、2007年に満を持してメジャーリーグに挑戦します。
ボストン・レッドソックスにポスティングシステムを利用し巨額のメジャーマネーで移籍した松坂は15勝12敗、201奪三振という結果を残します。

©メジャーリーグベースボール
そして、チームは加入初年度にしてワールドシリーズチャンピオンとなる快挙を達成します。
怪物松坂は周りの期待というプレッシャーに結果で返しました。
まさに松坂のキャリアのピークの時期でした。
石井一久
2002年にドジャースで野茂英雄に続く日本人としてメジャーの扉を叩いたのが石井一久です。

©メジャーリーグベースボール
野茂のアドバイスにより開幕から6連勝という記録を作り、前半戦で11勝というとんでもない記録を作りますが、後半は調子を落としシーズン通算14勝に終わりました。
2004年も前半戦で10勝という快進撃を続けますが、後半は調子を崩し中継ぎへの転向を告げられてしまいます。
2005年メッツに移籍しますが、わずか3勝しかできず彼のメジャー挑戦は終わります。
井川慶
2002年から2006年まで日本で5年連続2桁勝利を達成し、阪神のエースとして満を持してメジャーに渡った井川慶ですが、日本人メジャーリーガーの黒歴史とも言われています。

©メジャーリーグベースボール
ヤンキースに移籍した初年度は2勝しかできず完全な期待外れに終わってしまいました。
もう少しじっくりとメジャーに慣れさせていればこんなことにはならなかったのかもしれません。
岡島秀樹
松坂と同時にレッドソックスに加入したため当初あまり注目が集まらなかった岡島秀樹ですが、レッドソックスで大車輪の活躍をします。
投げる瞬間に下を向く独特のフォームは瞬く間にメジャーファンの心をつかみました。

©メジャーリーグベースボール
クローザーとしてチームの信頼を得て、大事な場面では必ず登板する重要な役割を果たしました。
挑戦1年目で27ホールドをあげ、レッドソックスのワールドシリーズ制覇の立役者と言われました。
斎藤隆
2006年に32歳で海を渡った斎藤隆は、ドジャースでナリーグを代表するピッチャーになります。

©メジャーリーグベースボール
マウンドでガッツポーズをして感情をむき出しにして投げる姿はチームに勢いを与えました。
リリース投手にもかかわらずサイ・ヤング賞の候補第8位になったことからも彼の活躍が分かります。
桑田真澄
桑田真澄は、39歳という年でメジャーに渡りわずか19試合しか在籍しませんでしたが、長年の夢だったメジャーのマウンドで投げる喜びを噛みしめる日本球界を代表する名ピッチャーの姿は多くの日本人の心を打ちました。
井口資仁
井口資仁は2005年にホワイトソックスに加入します。
加入した年にホワイトソックスは5年ぶりにプレーオフに進出します。
そのままワールドシリーズを制覇という快挙を達成します。
2006年には3ランホームラン、満塁ホームランを連発で打つという快挙も達成します。
2007年ではフィリーズに急きょ移籍しますが、3割4厘を打ち地区優勝に貢献します。
まさに優勝請負人でした。
田口壮
田口壮は2002年カージナルスに移籍後、4つのポジションをこなしユーティリティープレーヤーとして重宝されました。
2006年にチームがプレーオフに進出した際に大活躍します。
リーグチャンピオンがかかった9回に代打で登場した田口はメッツのワグナーから勝ち越しのホームランを放ちます。
そのままの勢いでカージナルスはワールドシリーズを制します。
松井稼頭央
2003年メッツに移籍した松井稼頭央は、メジャーデビュー戦の初球をホームランにし、一気に話題をさらいました。
日本では既にスーパースターでしたが、その期待が大きすぎたのでしょうか、メジャーでは思ったような結果が残せません。
2006年には不振でシーズン途中にロッキーズに移籍します。
この移籍が松井稼頭央を覚醒させます。
走攻守に渡って大活躍します。
松井秀喜
日本人メジャーリーガー初のパワーヒッターが通用するのか誰もが期待と不安を抱えたまま松井秀喜のメジャーリーグ挑戦は始まりました。
ヤンキースの主軸として2003年にデビューしてから常に優勝を義務付けられたプレッシャーの中で戦います。
2003年は16本しかホームランがなかったのですが2004年になると31本、108打点と大暴れします。
しかし、松井に悲劇が襲います。
レフトの守備できわどいフライを飛び込んで捕球する際左手首を骨折してしまいます。
ケガから4か月後、復帰した松井は4打数4安打という記録を残します。
復帰戦でのチームメイトの嬉しそうな笑顔から、どれだけ松井秀喜が愛されていたのかが分かります。
城島健司
城島健司は日本人初のキャッチャーとしてメジャー挑戦します。
当初は、言語の壁があるためキャッチャーのメジャー挑戦は不可能と言われていました。
2006年、イチローと同じマリナーズに移籍すると正捕手の座に定着。
度胸のあるリードでチームを支えました。
日本人メジャーリーガーの黄金時代
野茂がこじ開けた日本人メジャーリーガーの扉をイチローが完璧なものに仕上げ、2004年~2007年は日本人バブルのような状態でした。
このDVDに収録されている選手だけでもメジャーリーグの第一線で活躍する日本人が16人もいました。
2019年現在、ダルビッシュ有や田中将大など8人のメジャーリーガーが活躍していることからも、2007年当時どれほど日本人メジャーリーガーが多かったかが分かります。
コメント