WindowsというOS(オペレーティングシステム)を世に出し、世界一の企業に昇りつめたビル・ゲイツ率いるマイクロソフト社。
昭和59年、日本ではアメリカの巨大なOS企業に対抗するため日本独自のOSを開発しようとする人たちがいました。
それが、トロン(TRON)です。
「プロジェクトX 挑戦者たち 家電革命トロンの衝撃」は、パソコン用ソフトウェアのシェアを守るためアメリカが出た恐るべき行動に立ち向かった男たちの物語です。
日本産OSトロンとは
日本産OSトロンの開発を提唱したのは東京大学名誉教授の坂村健(さかむらけん)という方です。

©NHKエンタープライズ
坂村健は、トロンの仕様書を全メーカーに無料で公開し全てのメーカーが自由に使えるようにしました。
坂村健とは
1969年7月、アポロ11号が月へ打ち上げられる際に管制官室にある大量のコンピューターをテレビで見た坂村健(当時18歳)は、慶応義塾大学へ進学し、大型コンピューターに触れ、初めてソフトウェアを開発します。
1977年4月アメリカの学会でアップルの小型コンピューターを見た坂村健は衝撃を受け、今後個人向けコンピューターが普及することを予測します。
そして1981年、IBM社が家庭用パソコンを発売します。
そこに搭載されていたのがマイクロソフト社が開発したOS、MS-DOSです。
IBMPCは日本の企業にも導入されましたが、MS-DOSは英語の専門用語を打ち込んで使う必要があり、日本のサラリーマンには使いこなせずあまり普及しませんでした。
それを見た坂村健が、簡単に操作できるパソコンを目指しトロンの開発を始めます。
トロン開発プロジェクト
1984年、坂村健はトロンの仕様書を持って学会に発表します。
無料で発表された仕様書から、日本中の家電メーカーが坂村健の元に集結し開発プロジェクトが始まります。
1987年、2年半をかけてトロンの試作機が完成します。
ワンタッチでウインドウが開き、ソフトが動く、今のパソコンに近い機能が搭載された画期的なものでした。
そのうわさを聞いた通産省から坂村健のもとに連絡があり、日本中の小中学校にコンピューターを導入することが決まります。
アメリカからの強烈な圧力
トロンが完成し、いよいよ普及に向けて進み始めた1989年、突然アメリカがスーパー301条を発表します。
そのスーパー301条の中に、トロンが含まれていました。
アメリカは日本の教育市場がトロンに独占されMS-DOSが参入できないことを恐れていたのです。
日本政府は、教育現場へのトロンの導入を断念しました。
そして、大手家電メーカーがトロンプロジェクトからの撤退を次々と発表しました。
その結果、マイクロソフト社のOSが日本のパソコン市場を独占することとなりました。
トロンの衰退
1990年、トロン開発はその勢いを失い、日陰の存在になっていました。
そして1995年ウインドウズが発売されると、世界中で大ヒットし、トロンは市場から完全に追い出されることとなってしまいました。
そうなってやっと、日本の家電メーカーは、アメリカに支配され国産のソフトがなくなっていくことに危機感を覚え始めました。
坂本健の元に大手家電メーカーのメンバーが再集結しました。
トロンの復活
自動車メーカーとして大躍進していたトヨタは、エンジンを制御するコンピューターに搭載するソフトウェアを探していました。
そこでトヨタが目を付けたのがトロンです。
トヨタは新型車にトロンを導入し、トロンの復活が世に知られることになりました。
また、当時は携帯電話が普及しはじめた頃で、NECは携帯電話にメール機能を付けるためのソフトウェアの開発をトロンで始めました。
世界中で爆発的にヒットしたi modeにはトロンが搭載されました。
トロンが世界一使われているソフトウェアになった瞬間でした。
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