デジタルカメラの開発に何度も失敗しても諦めなかったカシオ計算機の社員

プロジェクトX 男たちの復活戦 ドキュメンタリー
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バブル真っ只中で日本中が浮かれていた昭和60年、カシオ計算機ではフィルムも現像もいらない電子カメラの開発に賭けていました。

市場では映像が動くビデオカメラが大人気でした。

「プロジェクトX 男たちの復活戦 デジタルカメラに賭ける」は、デジカメの開発に命を賭けた男たちの執念の物語です。

デジタルカメラ

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末高弘之という技術者

昭和53年、日本のモノづくりは黄金時代を迎えていました。

カシオ計算機では、昭和40年代の電卓戦争を勝ち抜き、時計の開発にも参入し売上を急増させていました。

そんな時代に開発部門に配属された新入社員が、末高弘之(すえたかひろゆき)です。

末高弘之

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末高弘之は、当時カシオの花形部門のデジタル時計部門で開発に打ち込みました。

時計に電卓機能を付けた商品はヒット商品となりました。

電子カメラの開発開始

末高弘之が次に目を付けたのが、まだ世界中の技術者が完成させることができていなかった電子カメラです。

29歳の末高弘之は若くして電子カメラ開発のリーダーに選ばれました。

川上悦郎(かわかみえつろう)は末高弘之と一緒に、その開発の中心となった人物です。

川上悦郎

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電子カメラは最新のエレクトロニクス部品の塊でした。

新しい市場を切り開くためメンバーは奮闘しました。

電子カメラの大失敗

昭和62年電子カメラが完成します。

このときの電子カメラは、フィルムのかわりにフロッピーディスクにデータを保存するものでした。

ときは日本のバブル絶頂期です。

128,000円で発売。2万5千台を生産します。

しかし、ボーナス商戦でもクリスマス商戦でも全く売れませんでした。

その理由は、ソニーから衝撃的な商品が発売されたからでした。

手持ちできる8ミリカメラです。

8ミリカメラとは、8ミリサイズのフィルムを使った動画が撮影できる家庭用カメラです。

同じような商品なら、動画が撮影できるほうが良いと客は8ミリカメラに飛びつきました。

 

売れ残った電子カメラは70%引き39800円でも売れませんでした。

闇研究の開始

末高弘之たち電子カメラの開発を行ったメンバーは異動を命じられ開発から外されることになりました。

カメラの失敗は社内のうわさとなっていました。

平成元年、新しい職場で2か月が経った頃、ライバル会社の電子カメラを作っていた技術者たちから電話が入ります。

みな、電子カメラでの市場を失い、社内で居場所をなくしていました。

それでも、皆いつかは電子カメラの時代が来ると信じていました。

会社の壁を越えた勉強会を開始しました。

末高弘之は、そんな他社の仲間たちに勇気づけられ、かつての開発メンバーを集め、本社に黙って闇で研究を行うことにしました。

失敗すれば処分は避けられない、命がけの研究でした。

電子カメラ開発で起こった様々な問題

ビデオカメラに勝つためには電子カメラのさらなる小型化が必要でした。

大きな問題が二つ必要でした。

  • 2000を超える部品が必要
  • 小型化のためにLSI=大規模集積回路の開発が必要

2000を超える部品を集めるためにやったこと

電子カメラの改良に必要な部品を作るため、会社で余っている部品をこっそり、かき集めました。

それでも新規でどうしても購入が必要な部品がありました。

5人が寝る間も惜しんで開発している姿を見ていた事務の村上雅美(むらかみまさみ)が、費用に適当な名前を付けて秘密で処理してくれました。

村上雅美

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LSIの開発のために行ったこと

LSIの開発には2000万円の開発費が必要でした。

LSIを使わず寄せ集めの回路で作った試作品は手で持てないくらい重く、高熱になりました。

テストだけでもやろうと、事務の村上雅美を連れて公園に行きます。

笑顔の自分が次々その場で画面に映る自分を見て村上雅美は、「ナニコレ、楽しい」といいました。

 

LSIにかかる開発費用を捻出するため、商品企画部の中山仁(なかやまじん)に相談します。

中山仁

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中山仁は商品審議会に乗り込み、役員たちの前でポケットテレビの付属機能として小型カメラを付けようと提案し、予算を取ることに成功しました。

小型電子カメラの完成

半年後完成した回路は、これまでとは比べものにならないほど小型化され、発熱も抑えられました。

さらに開発を進め、レンズ周りも圧倒的な小型化をしました。

平成5年12月、カメラ付きポケットテレビが完成しました。

しかし、ポケットテレビの競争が激化し、価格破壊してしまいました。

末高弘之たちは、テレビ機能を外しカメラだけで販売させてほしいと社長に直訴します。

技術屋の魂を感じた社長は販売にGOを出します。

しかしQV-10は生産5000台に抑えられました。

電子カメラ大ヒット

このままの生産台数では新しい市場が出来上がることはないと考えた末高弘之たちは、平成7年、アメリカで行われている世界最大の電気製品見本市に参加します。

カメラで撮った写真が、すぐに液晶に映り、ケーブル1本でパソコンへ送られる様子を見た人々は驚きました。

電子カメラは発売前から全米で大評判となりました。

いよいよ平成7年3月発売開始です。

末高弘之は恐る恐る電化製品店に向かいます。

商品が見当たりませんでした。

「あまりの売れ行きで品切れです」店員に言われました。

デジタルカメラ、空前の大ヒットでした。

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