コンピュータが生まれたばかりの時代に日本で作られた電車の自動座席予約システム・マルス

プロジェクトX 100万座席への苦闘 みどりの窓口 世界発 鉄道システム ドキュメンタリー
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昭和30年代前半まで、国鉄の座席指定席の管理は手作業で行われていました。

各駅で申込を受け付けると電話でセンターに問い合わせ、空席を確認するという作業でした。

列車の本数が増えると作業が間に合わず窓口には長蛇の列ができました。

窓口で半日待たされることもよくありました。

昭和33年国鉄は日立製作所と世界発のシステム「マルス」を開発することになります。

「プロジェクトX 挑戦者たち 100万座席への苦闘 みどりの窓口・世界初 鉄道システム」は、システムを作った開発者たちの苦悩を描いた物語です。

みどりの窓口

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このDVDから学ぶこと

  • 発注者と受注者の意識が統一されていないと開発は迷走する
  • リーダーが自らの失敗を認めることの大切さ
  • プロジェクトで大切なのはみんなで知識を共有すること

マルス開発のスタート

昭和33年、特急「こだま」などが登場し、東京へ向かう人は増える一方でした。

切符販売窓口では「早くしろ」と客の怒号が飛び交いました。

このままでは鉄道の信頼がなくなってしまいます。

東京駅では予約台帳を手書きで記載していました。

予約センターにコンピューターを設置し、各駅で瞬時に空席が把握できるシステムが必要でした。

コンピューターはまだ世に出たばかりでした。

昭和27年にIBMが初めて商用コンピューターを発売したばかりで、昭和30年代前半の日本ではほとんど普及していませんでした。

国鉄は、日立製作所に依頼し、磁気ドラムによるコンピューター「マルス」の開発を行いました。

マルスの稼働開始と失敗

マルスは昭和35年に国鉄本部に試験的に設置されると、30秒で指定席の予約を処理しました。

昭和40年全国にみどりの窓口を作り、マルスによる切符の管理が本格的に開始されます。

しかし二重発券、三重発券が行われてしまいました。

機械はダメだ、人間による管理のほうが確実だと国鉄の社員たちは思いました。

 

そして大事件が起こります。

ある日の午前9時、全国のみどりの窓口が客たちの予約をまとめデータを本部へ一斉に送りますが、全く切符が出てきませんでした。

その頃中央では容量オーバーによりコンピューターがパンクしていました。

数日後、午前9時にまた同じパンクが起こりました。

システム改良開始

容量オーバーを起こさないよう日立製作所の技術者たちが必死にコンピューターの改善を行いました。

しかし、その間も指定席の利用はどんどん増えていきました。

そんな中、国鉄はさらに指定席を増やすダイヤに変更します。

日立製作所の技術者たちは、現状を無視した無理な注文だと思っていました。

さらなる大事件の発生

昭和43年、新ダイヤをコンピューターに登録しているとき、データが入らない事態が起こりました。

国鉄の無理な注文にコンピューターの容量が耐えられなかったのです。

予約手続きは急きょ手作業に戻されました。

日立製作所では、国鉄の無理な注文が原因であるといきどおりました。

そこへ、国鉄の社員が乗り込んできました。

九州で大量の二重発券が起こっていると怒っていました。

尾関雅則と谷恭彦というキーパーソン

マルスは様々な問題を立て続けに起こし、国鉄と日立製作所の間で怒鳴り合いになるほど両者の関係は険悪な状態になっていました。

国鉄側のマルス責任者の通信課長尾関雅則(おぜきまさのり)は思いました。

尾関雅則

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「日立製作所の技術力は高い、しかし国鉄側に知識がなく日立製作所に押し付けるばかり。」

プロジェクトの失敗を相手ではなく自分たちのせいであると認めることがどれだけ大切かが分かるターニングポイントです。

プロジェクトを改革する必要がありました。

国鉄総裁に頭を下げ「100人欲しい」と言いました。

全国から20代の若者ばかりを集めました。

日立製作所側の責任者である谷恭彦(たにやすひこ)のところへ行き、国鉄の30人の若者を部下として使ってくださいとお願いしました。

谷恭彦

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彼らにコンピューターを教えてほしいと頼み込みました。

新たなプロジェクトの開始

昭和45年新たなプロジェクトが開始しました。

しかし、プロジェクト開始後も、日立製作所の人は、「国鉄の人にコンピューターは分からない」国鉄の人は「日立に鉄道のことはわからない」思い両者の溝は埋まらないままでした。

尾関雅則は突然、「今月誕生日の人のパーティーをしよう」と言い出します。

みんな失笑しながらしぶしぶ参加します。

そのパーティーで真剣に鉄道に対する愛を語る尾関雅則を見て、みんなはハッと気づきます。

昭和46年2月開発は一気に動き出します。

日立の技術者たちがプログラムの作り方を国鉄の職員に教え始めます。

国鉄の職員は座席の指定の仕方、料金体系の仕組みを日立に伝えていきます。

新しいシステムの完成

お互いの協力により40万行にも及ぶプログラムが完成しました。

最大の壁、100万座席の予約、魔の9時をクリアできるコンピューターを作るため、LSIとファームウェアを導入しました。

二重発券を自動で検出するソフトを作り上げました。

昭和47年3月、ついにコンピューターが完成しました。

ただちに国鉄のコンピューター本部へ輸送され、最終テストが始まりました。

突然コンピューターが緊急停止しました。

主電源が落ちていました。

ただちに電源を入れ20の装置を再起動すると全て無事でした。

リーダー尾関雅則が最悪の事態を想定してわざと電源を落としたのでした。

このテストにより、新しいシステムはどんな状況にも耐えられると、皆が確信しました。

新システムの運用開始

昭和47年9月7日、新システムの運用開始です。

魔の午前9時、日本中から送られた予約データが本部で見事に処理されていきます。

今度は東京から全国の各駅にデータが送られます。

その間6秒、あまりの速さに客も驚きを隠せない様子でした。

14年もの格闘の末に生まれた最高の鉄道システムでした。

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