バーミヤーンにある崖に彫られた巨大な仏像とタリバン政権による破壊

バーミヤーン 幻の仏像が眠る谷 ドキュメンタリー
©日経ナショナル ジオグラフィック社

ナショナルジオグラフィック バーミヤーン 幻の仏像が眠る谷」は、アフガニスタンにかつて存在した巨大な仏像と、バクトリアの黄金を探し出すという二つの別の物語です。

このDVDから学ぶこと

  • バーミヤーン渓谷の歴史
  • バクトリアの黄金について
  • タリバン政権とアフガニスタンの人々の関係
  • 絶望的な状況でもあきらめないことの大切さ

アフガニスタンとタリバン政権の歴史

アフガニスタン中央部に位置するバーミヤーン渓谷。

バーミヤーン渓谷は首都カブールから西へ240kmの場所にあります。
その渓谷には全長5km高さ100mの崖があります。
崖には洞窟が彫られていて、かつて数千人の僧が住んでいました。

そこにはかつて人々を魅了した幻の巨大な仏像がありました。

しかし、アフガニスタンの過激派タリバン政権は、2001年3月、その仏像を破壊してしまいました。

顔を壊された仏像

©日経ナショナル ジオグラフィック社

タリバン政権は、1996年から2001年までアフガニスタンを実効支配していました。
2001年9月11日にアメリカの同時多発テロを起こしたウサマ・ビンラディンを保護していたことからアメリカの攻撃対象となり滅ぼされます。

バーミヤーンに眠る幻の仏像とは?

アフガニスタンの考古学者の父ゼマリアライ・タルジは、ある文献を元に壊された仏像の代わりとなるアフガニスタン人の希望となる仏像を探し始めました。

ゼマリアライ・タルジ

©日経ナショナル ジオグラフィック社

 

ある古い記録によると、全長300mの世界最大の仏像が眠っているとされていました。

その文献とは、紀元630年頃バーミヤーンに到達した玄奘三蔵の記録です。

玄奘三蔵とは、西遊記の三蔵法師のことです。

玄奘三蔵の記録によるとバーミヤーンは当時、アフガニスタンで最も栄えた場所で、都の東北に45mの石仏があったと記しています。

アフガニスタンはシルクロードの通り道で人の交流がとても多い地域でした。

その45mの仏像は、まさにタリバンによって破壊されたものでした。

そのため玄奘三蔵の記録は正確なものだと考えられています。

記録の中には、45mの仏像とは別に全長300mの涅槃仏があったと記されていたのです。

涅槃仏とは、横たわるブッダの像のことです。

ゼマリアライ・タルジ博士による調査が2年を経過した頃、新たな遺跡が見つかりました。

この遺跡は、上に巨大なものを乗せても大丈夫なほど頑丈に作られており、仏塔の基礎部分であると考えられています。

ここにかつて涅槃仏があった可能性がますます高くなりました。

残念ながら、ジオグラフィック社の撮影期間中には涅槃仏の発見には至りませんでした。

バクトリアの黄金

ロシアの考古学者ヴィクトール・サリアニディ博士は、かつて平和だった頃のアフガニスタンで、バクトリアの黄金を発掘した人物です。

ヴィクトール・サリアニディ

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財宝はアフガニスタンのティリア・テペの丘という場所で見つかりました。

1978年当時、ソ連とアフガニスタンが共同でペペの丘にある遺跡の発掘作業を行っていま。

ある日、発掘中の遺跡から次々と黄金の装飾品に包まれた遺体が発見されました。

それは、紀元1世紀頃の王家の墓であると考えられました。

バクトリア地方の遊牧民で、シルクロードを通るキャラバン隊を襲い金品を集めていたと考えられています。

発掘された黄金の量はツタンカーメンの墓から出土した量を超えるほどの数でした。

発掘品はカブールの博物館へ送付されました。

カブールはアフガニスタンの首都です。

しかし、アフガニスタン国内の争乱により黄金は所在不明になってしまいました。

1993年バクトリアの黄金が移されたカブールの博物館が爆撃を受け、所蔵品は盗まれたのか爆発で壊れたのか分からないまま、誰にも所在が分からなくなってしまいました。

2003年、アフガニスタン大統領府からヴィクトール・サリアニディの元へ連絡があり、バクトリアの黄金が見つかったという話が出ます。

カブールの博物館の職員たちは、サリバン政権にバクトリアの黄金が奪われるのを避けるため、銀行の地下室にバクトリアの黄金を隠し、その秘密を守り続けていたのです。

ヴィクトール・サリアニディは、アフガニスタンに向かいそれが本物かを確認することとなりました。

大統領府の奥の間の金庫が開けられ、中から出てきたのは間違いなくヴィクトール・サリアニディが発掘したバクトリアの黄金でした。

花の髪飾り

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タリバンはなぜ芸術品を破壊するのか

タリバンはコーランの厳しい教えて従っていました。

この厳しい教えをイスラム原理主義といい、過激派を生むことになってしまいました。

コーランはイスラム教の聖典で、どう解釈するかによって、宗教の考え方は様々です。
なので、同じイスラム教国家でも国によって微妙に戒律が違っているのです。

タリバンの教えでは、人が生物の絵を書くことは、神への冒涜とされていました。

そこで、タリバン政権はあらゆる美術品を焼き払い、壊してしまいました。

タリバンには宗教警察があり、アフガニスタン中を周り生物が描かれている美術品を壊して回りました。

バーミヤーンに住む少数民族、ハザラ族はタリバンにより大虐殺されました。

3000人もの人が殺されてしまいました。

歴史から学ぶこと

アフガニスタンはタリバン政権により様々な歴史的価値のある物を大量に壊されてしまいました。

しかし、人々は命を賭けて歴史を守ろうとしました。

絵画が壊されそうになったときは、水彩絵の具で絵の上から塗りつぶし生物が描かれていないように見せかけてタリバンによる破壊を逃れました。

映画のフィルムが燃やされたときは、タリバンにコピー版を渡して、原版がある部屋を隠しました。

バクトリアの黄金を銀行の地下深くに隠しました。

壊された仏像の代わりとなる涅槃仏を必死で探しています。

どんな危機的な状況でも前を向いて闘う人たちがいる限り希望の光は消えないのです。

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