為末大は、日本人唯一のハードル競技で世界陸上の銅メダルを取った人物として有名ですが、実は投資家としても優秀で、タイの株式で30万円を2000万円まで増やした実績があります。
「インベストメント・ハードラー」という本で、自身がどのように投資の世界で成功したのかを詳細に記載してくれていますので、今回はその内容を簡潔にまとめました。
為末大の陸上の歴史
- 小学校4年生で県の100m走で優勝
- 中学で全国大会100m200m優勝
- ジュニア五輪競技会の中学生200m走のレコードを記録
- 高校3年生でインターハイ400m走優勝
- 高校3年生で広島国体400mハードル日本ジュニア記録(20歳未満)
体の成長が早かったため中学までは結果を残せていましたが、高校に入り周りの成長により短距離で勝てなくなった為末大は、中距離とハードルに活路を見出します。
- 大学3年時、シドニー五輪400mハードルで転倒し予選敗退
この敗北を機に、ヨーロッパへ単身で飛び世界の陸上レースを転戦します。
- 2001年世界陸上エドモントン大会400mハードル銅メダル
- 大阪ガスに就職するがパリの大会で惨敗、会社を退職しプロへ
- 2005年世界陸上ヘルシンキ大会400mハードル銅メダル
- 2012年現役引退
為末大の投資の歴史
- ヨーロッパでの賞金レースの転戦で大学生のときに1500万円近いお金を手にする
- 500万円を銀行預金、500万円を外貨預金、500万円を証券口座に入れた
大学の授業で、資産を3つに分けて運用するといいということを学んでいたそうです。
- スポーツ用品メーカー、電機メーカーの株を購入
陸上をやっている人には深くなじみのある電機メーカーが不祥事により株価を大きく下げているときに購入しました。
- 購入した株が4年で200万円の利益
株式投資を始めたのが日経平均が8000円だった頃だったため、投資環境は非常に良かったといえます。
- タイのマンションに30万円の投資(共同購入)
- 半年後に完成したマンションがすぐに売れ30万円が90万円になる
- 30万円をタイの銀行へ預金し利益分の60万円を再度タイのマンションに投資
- 半年で60万円が190万円に
- 190万円をタイの株式へ投資
- タイの株が半年で500万円以上になる
- 500万円を二つに分けタイの安定企業と新興企業の株に半分ずつ投資
- 2年で2000万円に
小学校の頃からお金に対する知識があった
為末大は、小さな頃からお金に対する意識が高く、投資の世界で成功するための基礎が出来ていたと考えられるエピソードがいくつかあります。
- 小学校のとき親戚から戦後の強烈なインフレによる預金封鎖の話を聞きお金の価値に疑問を持っていた
- 小さな頃から通貨で持つのが嫌いで記念硬貨を集めるのが趣味だった
- 小学校のときゲームを買って隣町のゲームショップで売ると利益が出ることに気づき転売を行う
大学時代の研究で投資に関する知識を深めた
大学時代、陸上で一つの理論にこだわりすぎてスランプに陥ったことから、一つのものにこだわりすぎず、真反対のことも学んでバランスを取ることを覚えたことは、後に株式投資でバランスよくお金を分配する知識の基礎になっています。
株式投資を始めて、色んな本を読み、お金を現金で持っていたら価値はどんどん下がっていくことを知ったことは、より積極的にリスクを取ることの大切さを学んだ大事なエピソードです。
一番重要なポイント APF会長との出会い
為末大の投資の成功で、最も重要なポイントは、APFという投資ファンドの此下会長との出会いです。
為末大は、日本より暖かい場所でより良い環境でトレーニングできる施設を探していました。
そのときタイのトレーニング施設を提供してくれたのがAPFでした。
APFは海外の資金不足でとん挫したリゾート計画を格安で買い取り、完成させて売却するビジネスで成長しました。
此下会長が元プロテニスプレーヤーだったことからスポーツ選手への支援を行っていました。
為末大は、タイで手掛けているAPFの投資ビジネスを見て、タイのすばらしさに気が付きました。
そこで、自ら此下会長とかけあい、APFが手掛けていた開発途中のマンションの余りに自分も投資させてほしいと持ちかけました。
そこから為末大の投資の快進撃が始まりました。
為末大のすごさは、目の前に来たチャンスに恐れず飛び込む勇気です。
投資で成功するためには、正しいリスクを取ることだと過去の経験から分かっていたのです。
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