日本を代表する名パイロット・早川秀昭の仕事に密着

プロフェッショナル 早川秀昭 ドキュメンタリー
©NHKエンタープライズ

旅客機ボーイング787は世界に先駆けて日本で初フライトが行われました。

そのフライトに指名されたのが、屈指の名パイロット早川秀昭です。

早川秀昭

©NHKエンタープライズ

プロフェッショナル 仕事の流儀 旅客機パイロット早川秀昭の仕事 ~夢の旅客機、未来へのフライト~」は、2012年当時の最先端の旅客機と一人の名パイロットを追いかけたドキュメンタリー作品です。

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オススメポイント

  • 大手航空会社のパイロットを育てる仕事
  • 最新の飛行機が世界で最初に日本で飛ぶという快挙
  • 飛行機の安全にどれほどの苦労が積み重なっているのか分かる

世界初の飛行機を飛ばすことの意味

世界初の新型航空機が日本で飛ぶのはボーイング787が史上初でした。

従来機より燃費が20パーセントも向上し、未来の旅客機はすべてこれに代わっていくと言われた機種です。

日本では、航空機のパイロットの免許は、操縦ミスを減らすため、一人に付き1つの機種のものしか与えられません。

そのため、ボーイング787を操縦するパイロットを養成することが最優先課題でした。

また新型機は、フライトデータが集まっていないので、どのような不具合が発生するか分かりません。

テスト段階で、どのようなささいな違和感も見落とさずにチェックを繰り返すことが重要です。

初フライトまでの早川秀昭の仕事

早川秀昭は撮影当時(2012年)52歳、ANAで21人の部下を率いる立場でした。

テスト操縦中に、早川秀昭は自動操縦システムがわずかにずれた位置を飛んでいることに気が付きました。

初就航の日を迎え、早川秀昭は、整備士たちのところへいき、深々と頭を下げ感謝の言葉を述べました。

早川秀昭の生い立ち

早川秀昭は、昭和34年、山梨で生まれ、4人兄弟の末っ子でした。

当時流行っていたパイロットが主役のテレビドラマを観てパイロットを目指します。

18歳で航空大学校に入りました。

そして大学卒業後はANAへ就職しました。

1985年ジャンボジェット機の墜落事件が起こりました。

遺体を安置所に並べる姿が頭から離れませんでした。

早川秀昭は、より一層仕事に打ち込み始めました。

いつしか早川秀昭は、名パイロットと呼ばれるまでになっていました。

 

パイロットの仕事

  1. 飛行プランの検討
    飛行するルートや高度をその日の天候から決定します。
  2. 出発1時間前に機内に向かい計器に異常がないかチェック
  3. フライト後は150km先の景色を目視でチェックしながら、10分先のフライト位置の状況を確認する

名パイロットの条件

自動操縦が高度に発展しているため、通常時の操縦では誰がやってもあまり差は出ません。

しかし、自動操縦では未来の天候を判断することはできません。

その情報をよく観察し的確に判断するのが名パイロットの条件です。

早川秀昭の言葉

「人の命を預かっている砦となるパイロット、それを見る砦となるのが私の仕事」

「99.999%完成していても、部品の数からいったらどこかがダメなんですよ。どこか壊れてるはずなんですよ。もちろん機械は信頼しているけれど、絶対ではないので。」

プロフェッショナルとは?という質問に対しては、こう答えました。

「今の自分の知識、能力を、自分でしっかり理解して、仕事にあたるときは、しっかりとモチベーションをもってあたる人」

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