岩崎多恵(いわさきたえ)は、株式会社アシェルというウエディングドレスの制作・卸・販売と女性専用語学スクール(韓国語・中国語)の経営者です。
2016年に出版した「地下足袋をハイヒールに履きかえて」で岩崎多恵の壮絶でドラマチックな人生と、起業・成功までの道のりについて語っているので、紹介します。
借金で壮絶な人生に
岩崎多恵の生まれは奈良県吉野山という小さな村です。
祖父母は和菓子の製造販売、父母は設備会社を経営していました。
高校3年生のときに事件が起こります。
父が借金の保証人となっていた人が夜逃げし、莫大な借金を背負います。
父は創業した会社を売却し、日雇い労働者になりました。
母は老人ホームのヘルパーに。
姉は看護助手になり、岩崎多恵と弟は、現場作業員になります。
地下足袋を履いてスクーターに乗って現場の山に行き、チェンソーで木の枝を落とす日々でした。
意地で大学へ行き運命の出会い
実家は借金だらけで、現場作業員として働きながらでしたが、どうしても大学に行きたかったので、父に相談したら、「自腹で行くならいい。」と言われました。
学費と借金の支払いのため、休学を繰り返して7年をかけて卒業しました。
大学休学中のアルバイトで運命の出会いがありました。
韓国人留学生たちに日本語を教えることになりました。
その縁で、直接韓国へ行き日本語を教えることになります。
月1万円でホームステイしながら1年半を韓国で過ごしました。
そして、韓国人の優しさに触れて韓国が大好きになりました。
今度はオーストラリアで在豪韓国人に日本語を教えるアルバイトを6ヶ月行います。
そして、帰国後、国際電話サービスの営業で行った先の商社が、韓国語を話せる日本人を探していたことから、大学卒業前にもかかわらず、正社員として採用してくれます。
借金完済とさらなる大事件
28歳の時、実家の借金を全て返済し終わります。
弟と二人で作った「祝・完済」のくす玉を見て父も母も泣いていました。
父と母は、祖父母が残してくれた和菓子製造販売でもう一度再起を図ります。
しかし、またしても事件が起こります。
自宅が全焼し、父が全身にやけどを負って、生死の境をさまよいます。
火事の影響で生活に困窮していた家族に、ある時、友人の友人の友人という、誰かわからない人から、包みが届きます。
そこには200万円と手紙が入っていました。
その中に入っていた手紙には次のように書かれていました。
「これは返さなくていい。だから名乗りません。あなたが返せるようになったときに今のあなたのように窮地に立たされている人を今度はあなたが助けてあげてください。お父さんの回復を祈っています。」
これが誰だったのかを調べましたが、結局分からずじまいでした。
唯一、女性の経営者であるということだけは分かりました。
この出来事から、岩崎多恵はこの女性経営者のようになりたいと決意しました。
続く不幸と起業の決意
父は奇跡的な回復により、事故から3ヶ月で退院できました。
波乱万丈の人生は話題となり、各地で講演に呼ばれるようになりました。
そして事故から1年と10ヶ月たったとき、父は突然脳溢血で死亡しました。
父との最後の会話は、起業を相談したときの、「やるなら儲かることじゃなくて好きなことわれ、好きなことは続くから」という言葉でした。
そして、起業したのが、女性限定の韓国語の語学スクールです。
しかし、銀行はどこも融資してくれません。
国民生活金融公庫の担当者が、「あなたに賭けます」といい、500万円を融資してくれました。
そして、2001年に開校します。
起業直後のピンチと突然の奇跡
最初は、生徒が集まらず、入力の内職をしながらしのいでいました。
とにかく、笑顔で楽しむことをモットーに、少しずつ口コミで生徒が増えて行きました。
そして奇跡が起きます。
冬ソナブームです。
冬ソナにはまった女性たちがスクールに殺到し、売り上げは10倍になりました。
新しい業態への挑戦
起業から4年目、上海を歩いていると、ウエディングドレスショップの街の通りにたまたま立ち寄りました。
とても素敵なドレスがリーズナブルに売られているのを見て、お店に飛び込み、ドレスを卸してほしいと頼みこみました。
知り合いの工場を紹介してもらい、とりあえず何着か購入しました。
カタログを作って、ネット販売を開始すると、飛ぶように売れました。
しかし、次第に品質が低下していき、トラブルが発生するようになりました。
そこで、新たな工場を探していたところ、上海の品質にこだわりを持つ女性経営者に出会いました。
価格は倍以上になりましたが、それでも今までの日本のウエディングドレス市場ではレンタルドレスと変わらないくらいの価格だったため、売上は好調でした。
お金持ちになって思ったこと
経営で成功し、お金持ちになって、やりたかったことは全て叶えられるようになりました。
父や母の惨めさを社会に見返すことができました。
でも、心にぽっかり穴が開いたような気持になりました。
自分は誰を見返したかったのだろう。
自分は何と戦っていたのだろう。
そんなとき、尊敬する東北の先生から言われた言葉「背を高く見せなくていい、等身大で良い、もう守らなくてもいい」。
呪縛から解かれたような瞬間でした。
翌日から世界が一変しました。
家族に、友達に、従業員に、お客様に、なんとも言えない感謝が溢れました。
コメント