ヨハン・クライフが伝説となった試合「W杯1974オランダvs.ブラジル」

スポーツDVD
©FIFA2001

サッカー世紀の名勝負 オランダ VS. ブラジル FIFAワールドカップ1974」は、数あるワールドカップの歴史の中でも、現在も語り草となっている伝説の試合を丸ごと90分収録したDVDです。

オランダvs.ブラジル

©FIFA2001

ペレマラドーナベッケンバウアーと並び、20世紀最高の選手の一人だと称されているヨハン・クライフの全盛期の映像が見られます。

そして、ヨハン・クライフが「フライング・ダッチマン」と呼ばれることになった伝説のゴールもこの試合で誕生します。

ヨハン・クライフとは

ヨハン・クライフは1964年に、オランダサッカー界で2人目のプロ契約をした、さきがけ的な存在です。

ヨハン・クライフが所属したオランダの名門アヤックスは、彼が所属した1965年から1973年までの間にリーグ優勝を6回もしました。

ヨハン・クライフ自身も1967年と1972年に得点王となります。

1973年にスペインのバルセロナFCへ史上最高額の移籍金で移籍し、リーグ優勝に貢献しました。

移籍金は当時の為替レートで6億円に近い金額です。
日本の高卒初任給が6万円くらいの頃なので、現在の貨幣価値に換算するととんでもない金額であることが分かります。

1974年のワールドカップは、まさにヨハン・クライフの全盛期の姿を見ることが出来る映像です。

当時のオランダ代表は弱かった

オランダ代表は、国際大会での低迷が続いており、1938年の第3回フランス大会以降、ワールドカップの予選を突破できていませんでした。

実に36年ぶりの予選突破による出場が、この1974年西ドイツ大会でした。

低迷しているチームをまとめるために、主力選手の大半をアヤックスの選手で固め、全員攻撃・全員守備による「トータル・フットボール」を目指すことにより短期間で強いチームを作り上げました。

vs.ブラジル戦までの戦績

前評判の低かったオランダ代表ですが、ワールドカップ本戦がはじまると、一気にその評価をひっくり返しました。

特に守備力が高く、ほとんどの国がオランダ代表から得点を奪うことができませんでした。

1次リーグ

  1. ウルグアイ戦 2-0
  2. スウェーデン戦 0-0
  3. ブルガリア戦 4-1

2次リーグ

アルゼンチン 4-0

東ドイツ 2-0

ブラジル戦

そして、迎えた2次リーグ第3戦が、このDVDに収録されているオランダVS.ブラジル戦です。

試合は、後半5分にヨハン・クライフの右サイドからのグラウンダーのクロスをニースケンスがスライディングで押し込んでゴールします。

クライフアシスト

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ニースケンス

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そして、1-0で迎えた後半19分に伝説が生まれます。

左サイドを突破したルート・クロルのクロスを、ヨハン・クライフジャンピングボレーで決めます。

フライング・ダッチマン

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このシュートから、ヨハン・クライフは「フライング・ダッチマン」と呼ばれるようになりました。

試合はこのまま2-0でオランダ代表が勝利、見事決勝へ進みます。

ブラジル戦後のオランダ代表

ブラジル戦を快勝で飾ったオランダ代表は、決勝戦で、西ドイツと当たります。

西ドイツは、英雄フランツ・ベッケンバウワーを擁し、開催国でもあるため絶対的な優勝候補でした。

オランダは、開始2分で獲得したPKをヨハン・クライフが決めて先制しますが、逆転され1-2の準優勝で終わってしまいます。

しかし、オランダの快進撃は世界中のサッカーファンに大きな衝撃を与え、オランダ代表が提唱したトータルフットボールはサッカーの一大ワードとなりました。

今でも、優勝した西ドイツより準優勝のオランダのほうが話題になることが多い大会です。

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