通常の看護師以上に、高度な医療の知識・技術を身につけた看護のスペシャリスト「専門看護師」。
その専門看護師の中でも命に一番近い現場、急性・重症患者看護の専門第一号の一人、北村愛子(当時43歳)を追いかけたドキュメンタリー映像が「プロフェッショナル 仕事の流儀 迷わず走れ、そして飛び込め 専門看護師 北村愛子の仕事」です。

©NHKエンタープライズ
専門看護師
全国に76万人いる看護師の中でも、専門看護師の資格を持つ人は186人(2007年当時)しかいません。
- がん看護
- 精神看護
- 地域看護
- 老人看護
- 小児看護
- 母性看護
- 慢性疾患看護
- 急性・重症患者看護
- 感染症看護
- 家族支援
- 在宅看護
- 遺伝看護
- 災害看護
北村愛子の仕事
北村愛子の職場は大阪市立泉佐野病院です。
仕事は、日勤や夜勤などのローテーションがなく、患者の状態によって決まります。
心臓の病気や脳の病気など、分野を超えた命の危機にある人々が看護の対象です。
専門看護師の知識のすごさが分かる出来事
撮影中、北村愛子が働く病院に脳梗塞の急患が運ばれてきました。
脳の温度を何度に調節するのかで、命を救えるかが決まります。
北村愛子は、瞳孔を確認し、光への反応があることから脳の活動がまだ残っていることを確かめ、脳の温度を1度上げることを提案しました。
医師はその意見にすぐに従い、処置をしました。
1週間後、患者は後遺症もなく歩けるほどにまで回復していました。
北村愛子が専門看護師になるまで
北村愛子は、1歳のときに病気のため立つことができなくなりました。
5歳まで長い闘病生活を過ごしました。
そのときに、優しく接してくれた看護師がいたことが、北村愛子が看護師を目指すきっかけになりました。
21歳で看護学校を卒業し、大阪府内の病院に勤めはじめました。
いきなり集中治療室の担当になり、毎日命と向き合いました。
看護師になって4年目、6歳の少女が心停止で運ばれてきました。
必死に心臓マッサージを行いましたが、少女は息を引き取りました。
亡骸を前に母親が語り始めました。
「私は今朝、「気持ちが悪い」と言った娘を「しっかりしなさい」と送り出した。死んだのは私のせいだ。」
北村愛子は「医療ってなんだ」と、自分の無力感を感じるようになりました。
30歳のとき現場を離れ、看護専門学校の教師となりました。
7年後、幼い頃の病気が再発し、体調が悪化し、教壇に立つのが難しくなりました。
それから数か月後、高校の同級生が臓器移植を受けることになりました。
入院先に駆け付け、賢明に励ましましたが、手術後1週間、容態が悪化し、死亡しました。
友人として見送っただけで、看護師としてベットサイドに立たなかった自分に腹が立ちました。
もう一度現場に立つことを決意し、専門看護師を目指します。
3年半をかけ大学院の修士課程を修了し、専門看護師の資格を取得しました。
北村愛子の言葉
「病気の方々は、自分の病気からは逃げることができないんです。生きていくということを支えるのが私たちの仕事。」
「希望をどこまでつなげられるか分かりませんけども、みんな生きる価値のある重要な人間ですから。」
プロフェッショナルとは?という質問にはこう答えました。
「自分のやることを分かっていて、本当に責任を持って仕事をする人ですね。そして行動に移す人です。考えてばかりいないで、きちんと行動に移す。責任を分かって行動に移すということですね。」
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