ナチス・ヒトラーによる大虐殺を当事者が振り返るDVD「アウシュビッツ」

アウシュビッツ ドキュメンタリー
©NHKエンタープライズ

アウシュビッツ強制収容所は、史上最悪の虐殺が行われた場所です。

死者の数110万人ともいわれています。

ナチスドイツがユダヤ人を絶滅させるために、巨大なガス室を作り、そこに人々を押し込め、毒ガスを流し込みました。

アウシュビッツ」は、BBC(イギリスの国営放送)が作成し、NHKが2005年が放送した、5回、4時間近くに渡る映像です。

最初はポーランド人捕虜の収容所だった

アウシュビッツは、ポーランドにある地域の名前です。

1939年、ヒトラーのポーランド侵攻により、ドイツ軍の支配下にあったアウシュビッツに、1940年、第一収容所なる1万人が収容できる建物が作られました。

当初はポーランド人が移送され、強制労働を行わされました。

しかし、労働環境は悲惨なもので、ドイツ軍による虐待も横行し、収容者の20%が亡くなりました。
ポーランド人虐待

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しかし、アウシュビッツは地理的な条件から、軍事用の化学実験場を作るのに最適な場所のため、最初から人体実験を行うために作られたという説もあります。

ソビエト人捕虜の収容所に

1941年6月、ドイツ軍はソビエトに侵攻します。

300万人もの捕虜を捕まえました。

たくさんのソビエト人がアウシュビッツに収容され強制労働させられました。

この頃から、ソビエトに住むユダヤ人たちが処刑されていきました。

元々ユダヤ人に良い感情を持っていなかったヒトラーは、この頃から虐殺を始めます。
ユダヤ人虐殺

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安楽死計画の開始

アウシュビッツでも捕虜の数が増えすぎたことから、「安楽死計画」として、障害を持つ人々を選別して、処刑されていきました。

シャワー室に集められた選別者たちは一酸化炭素で殺されました。

その後は、チクロンBと呼ばれる防虫剤を気化させて青酸ガスを出すことにより一気に捕虜たちを処刑することにしました。

アウシュビッツ第二収容所と呼ばれる10万人を収容する施設がつくられました。

しかし、これはまだソビエトの捕虜を収容するためで、ユダヤ人を収容するためのものではありませんでした。

ユダヤ人への強制逮捕が始まる

1941年9月、ハンブルクで、ユダヤ人を東部へ移住させる計画が進められました。

ポーランドのウーチと呼ばれる場所に集められました。

ポーランドに集められたユダヤ人はどんどん増えていき、どうにかして人を減らさなければいけない状況になってきました。

太平洋戦争の開始とユダヤ人迫害の激化

そんな中、日本が真珠湾を攻撃し、アメリカと戦争に入ったため、ドイツもアメリカに宣戦布告をしました。

ヒトラーは、アメリカのルーズベルトの後ろにはユダヤ人がいると演説し、ユダヤ人に対する迫害がどんどん力を増していきました。

ポーランドに集められたユダヤ人たちは、収容所に移され、虐殺されていきました。

スロバキア政権はカトリックということもあり、ユダヤ人たちを迫害していきました。

そして、ドイツと契約し、ユダヤ人たちを金銭を払って収容してもらうようになりました。

大量の人を虐殺するには、たくさんの費用がかかります。
スロバキアとしては、お金を払って処分してもらったほうが安くつくのでした。

ユダヤ人根絶計画

そして、いよいよドイツによるユダヤ人根絶計画が開始します。
世界中の全てのユダヤ人を抹殺するとんでもない計画です。
ヒトラーは、周りの各国へもユダヤ人を引き渡すように圧力をかけていきます。
そして、ナチスは歴史上類を見ない大虐殺の方法を編み出します。
野原に埋めた死体は腐ってしまうため、焼却しなければなりません。
そのための巨大な施設が必要だったのです。
急ピッチでアウシュビッツ強制収容所の改築が行われ、1943年春、ナチス収容所の中で最大の毒ガス室と死体焼却所が完成しました。

アウシュビッツ内部は悲惨な状況だった

アウシュビッツでは、親衛隊たちのモラルも低いものでした。
ナチスの人々が持っていた金品を奪い、自分のものにしていました。
女性をレイプし、気に入らない者はその場で射殺。
人体実験も大量に行われていました。
アウシュビッツ

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史上最大の虐殺が始まった

既にアウシュビッツ収容所では建設から4年で50万人が虐殺されていましたが、1944年春からのわずか数週間で30万人という大虐殺が行われました。
大虐殺の写真

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親衛隊4人と、囚人の中から選ばれた数百人の処理担当者が毒ガスで殺された人たちを焼却所へ運びました。

屋外焼却

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戦況の変化とナチスの逃亡

しかし、次第に戦況が傾き、ドイツ軍の敗北が濃厚になっていっていることに人々が気が付き始めました。
ナチスは、大量虐殺の証拠を隠滅するために、施設の破壊を始めました。
19451月27日、ソビエト軍はアウシュビッツを解放しました。
本当はアウシュビッツも破壊される予定でしたが、親衛隊は混乱の中逃げ出していました。
ソビエト軍がベルリンまで進撃し、1945年4月30日、アドルフ・ヒトラーが自ら命を絶ちました。
そして、戦争は終わりました。

戦後のナチスに対する処罰は正しかったのか?

アウシュビッツで働いていた親衛隊は7000人いました。
最終的に裁判にかけられ罪を問われたのは800人です。
それ以外の人は、ごく普通の暮らしに戻っていったのです。
しかし、被害者であるユダヤ人たちは戦争が終わり自分の住んでいた場所に戻っても、家は他の人に住まれていて、財産は全て失ってしまう人がほとんどでした。
現在においても、残念ながらユダヤ人に対する差別意識を持つ人は存在しています。
虐殺された100万人のユダヤ人のうち、20万人は子供でした。
ユダヤ人

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この写真は、ガス室へ入っていく瞬間の子供たちの表情をとらえたものです。

これは、未来永劫消えることのない人類の過ちとして語り継がれていくべきものです。

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