東京・新橋にあった小さな日本料理店「京味」。
日本一の和食料理店とも呼ばれ、数々の著名人が足を運んだお店です。
その亭主・西健一郎。
2019年7月26日にお亡くなりになられ、「京味」も惜しまれながら、2019年12月28日に閉店となりました。
「プロフェッショナル仕事の流儀 料理人 西健一郎 ~人間、死ぬまで勉強」は、まだご本人がご健在であった2008年(当時71歳)の貴重な映像です。

©NHKエンタープライズ
西健一郎の仕事
西健一郎の朝は、自ら店の周りを掃除しながらはじまります。
旬の料理にこだわって空輸で新鮮なものを仕入れます。
- 野菜は京都から空輸されてきます
- 魚介は瀬戸内で取れたものです。
たくさんの弟子を抱えていますが、材料の下ごしらえは西健一郎が一緒に行います。
午後3時、仕事が一息つくと、事務所に行き、前日に何の料理をどの客に出したかをまとめます。
お店が開店すると、常にお客の表情や体調をつぶさに観察し、その様子により味付けや、ときには出す料理を変更します。
最後に、必ず帰る客を自ら見送ります。

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帰りに暗い表情で車に乗って行ったお客を走って追いかけたこともあるそうです。
西健一郎の歴史
西健一郎の父である西音松は、内閣総理大臣であった西園寺公望のお抱え料理人でした。

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料理人番付で横綱に選ばれた人物で、日本を代表する料理人でした。
兄が料理とは違う道を選んだことにより、父から突然「料理人になれ」といわれ、その道を選びました。

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料理を始めた西健一郎は、ずば抜けたセンスを発揮し、ものすごい速さで成長しました。
30歳で新橋に自分の店を構えました。
ほどなくして、著名人が通う人気店になりました。
しかし、客は喜んでくれるが、本当にこれでいいのか、悩むようになりました。
さらに父からの、
「まだ料理人のうちに入ってませんわ」
という言葉にショックを受けます。
70歳を過ぎて京都で隠居生活をしていた父に土下座し、「料理を教えてください。」と頼み込みました。
父が黙って作る料理に衝撃を受けました。
父の料理には下ごしらえに膨大な手間がかけられていました。
それからは、父の口癖「死ぬまで、勉強」が西健一郎の口癖になりました。
父が86歳で亡くなるまで、二人での修行は続きました。
西健一郎の名言
「お客様の気持ちが分からない人が一方的に料理を出しても、もう一度来たいとは思わないんじゃないですかね。」
「手間をかけることによって、いらない部分がなくなる。足し算だけではいい味は作れない。引き算もいる。」
プロフェッショナルとは?という質問にはこう答えました。
「お客様のその日の気持ちというのがわかることだと思います。そのことをきちっと把握して、料理ができることじゃないでしょうか。」
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