島根の片田舎にある小さな公立中学校に、全国から視察が殺到するマジシャンと呼ばれる中学校英語教師がいました。
男の名は田尻悟郎(たじりごろう)。

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2001年、日本の英語教育会で最も名誉あるパーマー賞を受賞しました。
その田尻悟郎の授業の秘密を追いかけたドキュメンタリー映像が「プロフェッショナ 仕事の流儀 楽しんで学べ 傷ついて育て 中学英語教師 田尻悟郎の仕事」です。
田尻悟郎の職場
NHKが田尻悟郎を追いかけたのは2006年です。
当時、彼が勤めていたのが、島根県東出雲町にある公立校である東出雲中学校です。

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有名進学校からの数々の誘いを断り、地元で英語を教えて続けています。
授業の内容
当時田尻悟郎は、中学1年生に英語を教えていました。

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この日は、「Who」を教える日でした。
絵を指さしてクイズ形式で「Who is this」。
教科書を読む授業では、グループごとに読む速さを競わせます。
それが終わると、突然難しい単語を言い、教科書を開いて生徒たちに自分たちで答えを見つけさせます。
生徒たちが答えを見つけるまで絶対に答えを言いません。
答えを言わないまま授業が終わることもあります。
授業の中の全ての時間が子供たちを楽しませることを主眼に置いていて、その間、田尻悟郎はエンターテイナーになりきり、生徒たちを楽しませます。
田尻悟郎の独自のテスト
田尻悟郎の授業では、生徒と1対1で行う小テストがあります。
テストをしながら生徒と楽しそうに話すことで、コミュニケーションを取ります。

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テストに合格した者は、先生役として教える側に回らせます。
この小テストは、希望した生徒だけが受けるようにしています。
生徒が先生役としてテストを進めてくれている間、英語に興味がなく、テストを受けに来ない生徒のところに田尻が回って1対1で教え込みます。
若き日の失敗
田尻悟郎が教職に就いた1980年代後半、全国的に校内暴力がまだまだ当たり前の時代でした。
田尻悟郎は、最初の勤め先として神戸の中学の教師になりました。
子供たちにナメられてはいけないと、角刈りにサングラスで突っ張りました。

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授業はスパルタ。
黒板に文字を書き、「明日までに覚えろ」と言いました。
生徒たちは付いてこず、腹が立ち毎日怒鳴りまくっていました。
部活では野球部の顧問をしていました。
スパルタで鍛えた部は、「軍隊のようだ」と言われました。
それでも地区大会で勝てるくらいの結果が出るチームに育て上げました。
しかし、野球部の卒業の慰労会で生徒から言われた言葉に衝撃を受けます。
「頑張る力となったのは、先生への恨みです。」
「自分は何をやっているんだろう。」と情けなくなりました。
教師として行き詰った田尻悟郎は、地元の島根の中学に転勤します。
そこで運命の出会いがありました。
英語教師のアシスタントとして赴任した日系カナダ人のコンノマサキは、型破りな授業の形をどんどん提案してきました。

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生徒と一緒に料理する授業、バーベキューをする授業。
とりあえず、彼のやりたいように任せてみました。
あるとき授業で、英語嫌いだった男の子が手を挙げて流ちょうな英語でスラングを話すのを聞いて、衝撃を受けました。
そこから、田尻悟郎の授業は変わります。
とにかく子供たちを楽しませることを必死で考え、いつしか彼の授業は「魔法」と呼ばれるようになりました。
田尻悟郎の名言
「英語は覚えないといけないのだから、膨大な努力が必要な教科。味付けをしてあげると、苦くて効く薬に糖衣をまぶしてあげられる。」
「先生が子供を説得するんじゃなくて、本人が気が付き始めたときに声をかけるのが一番いい。」
プロフェッショナルとは?という質問には次のように答えました。
「僕にとっては、やはり常にいろいろな場面でベストな判断ができる人だと思います。そのベストの判断ができる人は、失敗を繰り返してきて、消去法で答えを見つけられる力がある人だと思います。だからチャレンジをし続ける。失敗を恐れない。」
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