日本酒の神と呼ばれるカリスマ農口尚彦(のぐちなおひこ)をご存知でしょうか。
「プロフェッショナル仕事の流儀 魂の酒、秘伝の技 杜氏 野口尚彦の仕事」は、人生を酒に捧げた杜氏、農口尚彦の2010年の様子を撮影したドキュメンタリーDVDです。

©NHKエンタープライズ
日本酒の全国品評会で25回もの金賞(当時)を取得した名酒を作ります。
そんな男から、どうやって超一流の日本酒が作られているのか、その秘密に迫ります。
農口尚彦の仕事
2010年の撮影当時、野口尚彦は石川県の田園地帯にある鹿野酒蔵で働いていました。
日本酒は雑菌の繁殖しづらい冬の間に集中して作られます。
8人が働く酒蔵で細かな指示を出します。
日本酒はどうやってできる?
米のデンプンをこうじ菌が糖に変えます。
その糖を酵母菌が発酵させ、アルコールを生み出します。
米が酒蔵に運ばれてから1か月半、徹底的に米と向き合います。
野口尚彦の仕事は何が違うのか?
まず、運ばれてきた米を水で洗います。
米の水の吸い方はそれぞれ違うため、野口尚彦は秒単位で洗い時間を測ります。
すぐに、米がどのくらい水を吸ったかを測定します。
何分水に漬けると、どのくらい吸水したかの記録を30年間付け続けています。
次に、こうじ室に運ばれた米は、こうじ菌と混ぜられ、米こうじが作られます。

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室内の空気が動かないよう、完全に閉めきります。
米1粒にこうじ菌1つを付着させる最高の状態を目指して、菌を振りかける量と速さを調整します。
米こうじに、さらに水と酵母菌を加えて仕込みを行い、1月半ほど置いて酒は絞られます。
絞った酒をどのくらい熟成させるのかも杜氏の重要な仕事です。
農口尚彦は、自分の心に決めたものがありますが、必ず弟子たちに意見を求めます。
若い頃の農口尚彦
農口尚彦は、代々続く酒蔵の子として育ちました。

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中学を卒業すると、すぐに酒造りの修行に出ました。
静岡や三重の酒蔵を渡り歩き、懸命に技術を学びました。
28歳のとき、石川の歴史ある菊姫合資会社の杜氏を任されました。
異例の若さでの抜てきでした。
流行りの淡麗で飲みやすい酒を造りました。
しかし、お客さんから言われたのは「薄くて飲めたもんじゃない」という言葉でした。
やみくもに様々な酒を試したことにより、毎年酒の味が変わりました。
しかし、酒蔵の社長は、農口尚彦を杜氏として雇い続けました。
それどころか、お客さんたちの前で「この杜氏が、うちの酒をどんどんおいしくしてくれます」とまで言ってくれました。
何としても期待に応えたいと思い、原料の米に徹底的にこだわり、違いを記録し続けました。
来る日も来る日も米を噛みました。
少しづつ酒のことが分かりはじめ、酒のうまみを出せるようになってきました。
次第に農口尚彦の造る酒が日本中で評判になっていきました。
農口尚彦は、65歳で定年退職をしましたが、鹿野酒造から、経営を立て直すために来てほしいと依頼がありました。
新しい酒蔵で、また酒と向き合い続ける生活が始まりました。
農口尚彦の名言
「酒造りなんてものは、「わかった」と思った時分はわからないんです。だから、わからんものとして始まらなかったら、絶対につかみ取れない。」
プロフェッショナルとは?という質問にはこう答えました。
「自分に厳しいこと。一言で言えば。追求しようと思えば、自分に厳しくないとね。」
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