ドラゴン桜のモデルになった熱くて涙もろい予備校講師・竹岡広信

プロフェッショナル 竹岡広信 ドキュメンタリー
©NHKエンタープライズ

日本で一番人気のある高校英語の予備校講師・竹岡広信が開く予備校「竹岡塾」は、特別講習の募集をすれば、常に定員オーバーです。

 

熱気のこもった授業で生徒たちの心をひきつけます。

竹岡広信

©NHKエンタープライズ

ドラゴン桜の著者が、漫画の取材のため東大に行き、学生たちに、これまで影響を受けた先生を聞いたところ、多くの人から竹岡の名前があがったことからドラゴン桜の漫画になりました。

 

参考資料:プロフェッショナル 仕事の流儀 ”なにくそ!”負けたらあかん 英語教師 竹岡広信の仕事

竹岡塾の講義はどんなの?

京都府の亀岡にある住宅街の片隅に、竹岡塾はあります。

地元の高校生の多くが通います。

1学年25人ほどで、他にはない独特のルールがあります。

  • 学力別のクラス分けは一切行わない
  • 身振り手振りを交えて言葉のイメージを教える
  • 教える単語は3年間で1000しかない
  • 厳選した英単語を、語源にまでさかのぼって教える
  • 一つの単語に30分かけることもよくある

 

他に、特徴的な授業として、質問だけの授業というものがあります。

生徒が質問をすると、授業を中断し、車で1分の自宅へ帰り、資料を引っ張り出してコピーし、みんなに配ります。

生徒が、知りたいと思った瞬間を逃さないことを大事にしています。

 

さらに竹岡塾では、授業後の片づけや掃除を生徒が行います。

勉強だけができても意味がない、人間として成長しなければならないというのが竹岡広信の信念です。

授業を変えてでも伝えたいこと

竹岡塾に、耳の不自由な生徒が入ってきたことがありました。

竹岡広信は、その子に合わせて授業の内容を全て板書するようになりました。

たった一人の生徒のために、授業で話す言葉の全てを全力で黒板に書きまくりました。

 

他の受講生たちは、誰一人文句を言わずに竹岡の講義を最後まで受け続けました。

 

竹岡広信がそのクラスのみんなに最後に板書した言葉が

「一番うれしかったことは、こんな授業していたのに、だれも文句言わなかったこと。あんたらはえらい!!よって合格してこい!!!!!」

竹岡の板書

©NHKエンタープライズ

その授業を受けていた片腕に障害がある女の子が、竹岡に感謝の手紙を書いてきました。

「私も障害があるから、うれしかった。先生のような人がもっと増えてほしい。」

 

竹岡は涙が止まりませんでした。

初めての講師で大失敗

竹岡広信は、昭和55年、京都大学工学部に入りますが、18歳のときに地元の塾で講師にならないかと誘われて、軽い気持ちで講師になります。

自分のやり方をそのまま生徒に適用して、徹底的に単語と文法を教え込みました。

しかし、3年後、教えた男子全員が志望校に不合格という結果でした。

一人の生徒が言った「3年間ありがとうございました。期待に応えられなくてすみません。」という言葉が頭から離れませんでした。

エンジニアを目指し大学院を目指していたのですが、それを捨てて文学部に編入、アメリカ文学を学びながら塾講師に没頭しました。

徹底的に資料を集め読み込みますが、生徒の成績はなかなか伸びません。

竹岡は留年を繰り返し、3年目には休学、自暴自棄になりパチンコ店に入り浸りました。

ある日、自分が通っていたパチンコ店の常連の一人が競馬の話を始めました。

血統や調教の方法、驚くほどの知識でした。

「好きだから、身に付く」ということに気が付きました。

無味乾燥な英語を詰め込むのをやめ、英字新聞から題材をつくりました。

ビートルズの歌を関西弁にして歌いました。

次第に生徒たちの成績が上がり始めました。

ようやく見つけた突破口、授業を始めて10年が経っていました。

竹岡広信の熱い言葉

「人を教えるうえで一番大事なことは、ごまかさないこと。」

「もっと一問一問を大事にする。」

「もうあかん、と思ったら負け。なにくそ!と」

プロフェッショナルとは?この質問に次のように答えました。

「失敗に失敗を重ねても、それを絶対忘れないで、次につなげていく人だと思います。」

 

プロフェッショナルの関連記事

「プロフェッショナル仕事の流儀」のDVDに関する記事のまとめ

コメント