1995年1月、阪神淡路大震災によって、神戸の町は壊滅的な打撃を受けました。
中でも、鉄道は深刻な被害を受け、高速道路も破壊され、人々の移動手段は奪われ、神戸は陸の孤島となってしまいました。
特に、JR東海道本線の六甲道駅では、高さ10mの高架がつぶれ、復旧には2年かかると言われました。

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参考資料:DVD「プロジェクトX 挑戦者たち 鉄道分断 突貫作戦 奇跡の74日間 ~阪神・淡路大震災」
突貫工事の開始
しかし、震災の翌日には8万人のサラリーマンが歩いて会社へ向かいました。
早急に鉄道を復帰させる必要が出てきました。
駅の復興に与えられた期間は、わずか3か月。
突貫工事が始まりました。
前代未聞の工事
昭和53年に起きた宮城県沖地震で壊れた高架を復旧したスペシャリストの石橋忠良が任務にあたります。

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1階部分はぺしゃんこでしたが、2階部分の柱は無事であることを確認し、ジャッキで持ち上げるという作戦に出ます。
通天閣を完成させた奥村組が工事にあたります。
重さ1200トンの高架橋が大きくずれているため、ジャッキアップの途中で崩れ落ちてしまうと、一瞬で命を失う可能性のある危険な工事でもありました。
工事開始
地震から1週間後、1月24日に作業が開始します。
まずは、高架下のつぶれた商店を撤去する作業からです。
安全な空間確保のため、木で組んだ台をかませることにしました。
余震が続く中、崩れたら死ぬ覚悟で、最初の作業員が高架下にもぐりこんで木を組んでいきました。
同時に、24時間体制で線路の修理もはじまります。
2月6日、高架下の商店が撤去し終わり、不要な壁を取り外し始めました。

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しかし、壁を外したことによりバランスが崩れ、高架が沈下しはじめます。
なんとか9cm沈んだところで止まりました。
ジャッキアップ開始
4日後、ジャッキの設置が完了し、いよいよ持ち上げ工事が始まります。
しかし、その瞬間今までで最大の余震が発生します。
「全員退避せよ。」
その後、余震が収まり、ジャッキアップが再開されますが、大問題が発生します。
1300トンもの圧力をかけても高架は持ち上がりませんでした。
高架にひずみが出始め、これ以上圧力をかけることは危険だ、ということで工事がストップします。
途方にくれた作業員たちでしたが、ふと外を見ると駅前の垂れ幕に「こうじの皆さま、おケガのないように」とあるのを見て奮い立ちます。
もう一度、高架橋の強度を慎重に再計算し、1台あたりの圧力を92トンまであげます。
上がった。
5cmずつあげていき、2月24日、高架橋は震災前の高さまで戻りました。
溶接を行い、鉄板を打ち、いよいよ高架橋が元に戻りました。
最終試験
後は3月30日の運輸省の検査をクリアすれば復旧完了です。
同時に4本の電車を走らせ、高架橋のたわみが16ミリ以内なら合格です。
たわみは基準の10分の1でした。
2年かかるといわれた工事を、わずか2か月半で成し遂げた瞬間でした。
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