がん看護専門看護師という職業をご存知でしょうか。
がん患者を最期の瞬間まで支える緩和ケアのプロフェッショナルです。
参考資料:DVD「プロフェッショナル 仕事の流儀 がん看護専門看護師 田村恵子の仕事」
がん看護専門看護師の仕事
大阪府の東淀川にある淀川キリスト教病院で働く田村恵子は、がん看護専門看護師のさきがけ的な存在です。

©NHKエンタープライズ
日本のホスピスにこの人あり、と言われる人物です。
7階にある、がゆ患者のためのホスピスで看護師長として21人の看護師を束ねています。
がんが進行し、もはや治療の余地がない人たちが対象です。
気になる患者の元を訪れ、容態を確認します。
苦痛をやわらげ、残りの人生を穏やかに過ごせるように、あらゆる手立てを探します。
ある末期患者との出会い
患者たちは、迫りくる死への恐怖や、後悔の念を抱えています。
相手が辛い気持ちを話し始めたときは、決してはげましたりはしません。
ある舌ガンの患者が運ばれてきました。
すでにがんは皮膚にまで移転し、現在の医学では助からない状態でした。
それでも男性は、もう一度治療を受けたいと言います。
田村恵子たちは、男性をもう一度、治療の場へ送り出しました。
2週間後、男性がまた田村恵子の元へ送られてきました。
皮膚からの出血が止まらなくなり、治療はできない状態でした。
男性は「ありがとうございました。」と言いました。
5日後、男性は亡くなりました。
田村恵子は、隠れて一人で、涙を流し、「よし、いこう」次の患者の元へと向かっていきました。
友人の死
10年前、ボランティア活動で出会った友人は、虫垂がんの手術をしたばかりで、再発を恐れていました。
「自分の人生には何もない。がんになっただけの人生だ。」
ある日、田村恵子は「何か、したいことはないの?」とたずねました。
友人は答えませんでした。
2か月後、友人は「ピアノが好きなんだ」とポツリと言いました。
病院のロビーで演奏してくれました。
次第に患者たちの輪ができ、大きな拍手がわきました。
その頃から友人の様子が変わりました。
頻繁に病院でピアノを弾きました。
がんが再発し、治療は不可能という診断結果が出ましたが、友人は後ろ向きにならず、バイオリンを習ったりフランス語を学んだり、人生を楽しみました。
「幸せだった。」と言って、この世を去っていきました。
田村恵子が、どんな状況でも希望は見つかる、と思えた瞬間でした。
それからは、全ての患者さんに希望を見つけてもらうことが田村恵子の目指す治療になりました。
田村恵子の言葉
「悲しくないといったら嘘になりますけど、生きかたを間近で見せていただいて、生き切った人からパワーを私自身がいただいている。それを私が次の人に役立てたら、と思っている。」
プロフェッショナルとは?という質問には次のように答えました。
「私の中のこれまでの経験に基づいてできている直感を、信じて揺るがないこと。そして、相手の方の力をそれ以上に信じてあきらめない、そういう人だというふうに思います。」
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