新潟県中越地震で土砂に埋まった車から子供を救出し、奇跡の救出劇と言われニュースになった男たちがいました。
東京消防庁ハイパーレスキューは最新鋭の機械を使い、危険で困難な災害に立ち向かう精鋭部隊です。
国内外で100名以上の命を救ってきました。
炎の指揮官・宮本和敏は、部下からも「男が男に惚れる」「絶対に間違わない」と絶大な信頼を得るスーパーリーダーです。

©NHKエンタープライズ
記事の元となった資料:DVD「プロフェッショナル 仕事の流儀 ハイパーレスキュー部隊 宮本和敏の仕事」
ハイパーレスキューの仕事
東京足立区の河川敷にある第6消防方面本部消防救助機動部隊が宮本和敏の職場です。
都内14区が管轄です。
隊員19人の選ばれし者たちが部下です。
出動以外は、朝から晩まで訓練に明け暮れます。
使う最新装備は1000を超えます。

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事件の第一報が入ると、出動準備に入りますが、ほとんどが不発に終わります。
そして、また過酷な訓練に戻っていきます。
実際に瓦礫を積み上げて、切断を行う訓練、真冬の川に飛び込む訓練。
仕事が終わると、宮本和敏は一人でトレーニングルームへ行き体を鍛えます。
45歳(当時)にして、隊の中でトップレベルの身体能力を持っています。
忘れられない体験
宮本和敏が消防の道に入ったのは20歳のとき、偶然消防隊の訓練を見たときに憧れたのが理由でした。
消防士になり5年目に忘れられない体験をします。
冬の夜、出動した住宅火災で逃げ遅れた人を助けるのを、あまりの火の強さに上官から止められました。
焼け跡から、子供二人を抱いた母親の遺体が見つかりました。
はじめて出会う犠牲者でした。
「自分にもっと技量があれば、中に入り救えたかもしれない。」
どんな現場にも対処できるプロの消防士になるため体を鍛え上げました。
30歳でレスキュー隊員になり、困難な現場で人を助け続けました。
37歳という異例の若さで、ハイパーレスキューの小隊長に抜擢されます。
しかし、それが長い苦悩の始まりでした。
宮本和敏は通常のレスキューしか経験がなく、機材の使い方が分かりませんでした。
選りすぐりの精鋭たちの部下には自分の言葉が響きませんでした。
部下を納得されるため、徹底的に勉強し、睡眠時間を削って知識を頭に叩き込みました。
2年後、すり鉢状のタンクへの転落事故という難しい現場で、落ちた人の周りをドラム缶で囲い、タンクの下に穴をあけて砂を抜くという手法を指示しました。
それ以降、部下たちの目の色が変わり、宮本和敏についてくるようになりました。
スーパーリーダーの言葉
「自分を追い込んでいる姿を見てくれれば、彼らもやるでしょうし、そういう人間の話しか聞かないんじゃないかと思います。」
「諦めたら、私たちに代わる人間はいない。」
「指揮者が収束させるんだ、という気構えがなければ収束しない。それは全体に伝わる。」
プロフェッショナルとは?という質問には次のように答えました。
「どれだけ技量をつければいいのか、どれだけ知識をつければいいのか、達成する域というのは、いまだにわからないですね。ただ、そこまで引き上げていこうという自分の気持ち、それを持ち続けることだというふうに思っています。」
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