平成9年1月2日、島根県の沖合の日本海でロシア船籍のタンカー、ナホトカ号が台風による荒波に巻き込まれ難破しました。

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船体は真っ二つに割れ、ドラム缶3万本分の重油が流出しました。
5日後、大量の重油が風に流されて福井県三国町に漂着しました。
瞬く間に三国町の海はおびただしい量の重油で真っ黒になりました。
参考資料:DVD「プロジェクトX 挑戦者たち よみがえれ、日本海 ナホトカ号 重油流出・30万人の奇跡」
三国町の重油回収作戦が始まる
三国町は海女さんたちが素潜りでタコやサザエをとる漁業の名産地でした。
このままでは海の生物たちが死んでしまい、三国町の産業が壊滅してしまいます。
三国町役場は、機械で重油を吸い上げる作戦に出ますが、あっという間にホースが詰まり、使い物にならなくなりました。
東尋坊で有名な岩場の多い地形から、油回収船も入ることができません。
三国町の住民たちは、自ら集まり、ひしゃくとバケツで重油を集め始めました。

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ボランティアが集まり逆にピンチに
テレビで現状を見た人達が続々と三国町に集まり始め、役場に問い合わせを行ったため、パンク状態になりました。
このままでは現場が混乱してしまう状況になってしまいました。
30人の地元の有志たちにより重油災害ボランティアセンターが設立されました。
長谷川啓治がそのリーダーとなりました。

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なかなか片付かない重油
重油漂着から4日、タンカー内の重油がさらに広がり、海はますます黒くなっていました。
さらにボランティアは増え続け、1000人のボランティアが集まりました。

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しかし、ボランティアに配る食事も用意できず、日本中から集まる物資を置く場所もなくなりました。
重油災害ボランティアセンターは混乱の一途をたどっていました。
そんな中、ボランティアの中の一人、平田毅が立ち上がりました。

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1年前に会社を定年したのですが、長年在庫整理に携わっていました。
センター内に集まる物資を一手に整理し、混乱を収めました。
恐れていた事態が起こる
1月14日には、ボランティアの数は延べ3500人になっていました。
しかし、大寒波が襲い、体調を崩すボランティアが大量に出てきました。
1月21日、恐れていたニュースが飛び込んできました。
別の場所でボランティアをしていたの人の中で、重労働に体を壊し、死んだ人が5人も現れました。
1月の終わりになっても吹雪は一向に止まず、作業中止が相次ぎました。
作業は完全に足止めとなってしまいました。
若者のボランティアたちが酒を飲んで暴れるような状況まで現場の雰囲気は悪くなっていました。
美しい海が帰ってきた
2月9日、やっと吹雪がやみました。
1000人を超えるボランティアが再び集まりました。
繰り返し繰り返し、ひしゃくで重油を救い上げる終わりの見えない作業でしたが、次第に海の黒い重油は消えていき、海鳥が戻り、海藻が戻ってきました。
そして、3月31日、ついにボランティアセンターが解散となりました。
働いたボランティア延べ30万人の地道な努力が、美しい海を蘇えらせました。
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