北アルプスで遭難者を命がけで守る山岳救助隊の誕生

プロジェクトX 山岳警備隊 ドキュメンタリー
©NHKエンタープライズ

昭和30年代の経済成長の時代、空前の登山ブームが起こりました。

サラリーマン登山者が急増し、年間500件もの遭難事故が起きていました。

日本で最も登山者が集まる富山県のアルプス山脈でも、多くの遭難者が発生しました。

参考資料:DVD「プロジェクトX 挑戦者たち 魔の山大遭難 決死の救出劇」

山岳警備隊の発足

昭和38年、北アルプス薬師岳で愛知大学山岳部のパーティが遭難する事件が起こりました。

管轄の富山県警1の山登り技術を持つと言われていた伊藤忠夫が捜索隊のリーダーに選ばれました。

伊藤忠夫

©NHKエンタープライズ

伊藤忠夫は、幼い弟を山で失った経験から、その遺体を探すため山に通い、山登りに精通していました。

捜索は難航し、ついに遭難者たちを見つけることができませんでした。

春になり雪が溶けると、13人全員が遺体で見つかりました。

この事件をきっかけに、管轄の富山県警では、昭和40年、山岳警備隊が発足しました。

素人の集まりと伝説の山男

伊藤忠夫が山岳警備隊のリーダーになりますが、22人の部下たちは山登りの素人たちでした。

岩山にへっぴり腰で張り付いて登ることもできませんでした。

伊藤忠夫は、立山町芦峅寺を訪ねました。

黒四ダムを建設するとき、山の中を荷物を運んだり、第一回南極観測隊に参加した伝説の山男・佐伯栄治に警備隊を鍛えてもらうように頼み込みました。

佐伯栄治

©NHKエンタープライズ

伊藤の熱意にほだされた佐伯栄治と甥の佐伯友邦は、山岳警備隊の指導役を承諾しました。

史上最大の遭難事件

昭和44年1月、天候が悪化した剣岳で15パーティ81人が雪山に取り残されるという最悪の遭難事故が起こりました。

計算によると、あと数日しか遭難者たちの食料・燃料はもたず、すぐに助けにいかなければ危険な状態だということが分かりました。

剣岳は北アルプスの中でも最も北に位置するため、日本海からの強風により猛烈な雪が吹雪く、最も困難な地域です。

山岳警備隊の面々と佐伯栄治佐伯友邦が、遭難者たちの中でも最も山頂に近い場所にいる金沢大学山岳部17名の救助を担当する部隊に選ばれました。

最も危険で困難な場所を担当することになったのです。

猛烈な吹雪の中、救助隊員の1人が雪庇を踏み抜き、谷底へ落ちてしまいます。

最悪の二重遭難が発生してしまいました。

佐伯栄治佐伯友邦は、いそいでザイルをとって、谷底へ救助へ向かいました。

奇跡的に隊員は生きていました。

佐伯栄治佐伯友邦は谷底に落ちた隊員を山から降ろすために、やむなく救助を中断します。

残された山岳警備隊3人が17人の救助に向かうことになります。

山の達人の2人がいなくなり、不安でしたが、山の上で待つ遭難者たちのために勇気を振り絞って前に進みます。

少しでも雪庇を踏むと奈落の底へ転落する尾根を恐怖を抱えながら一歩一歩登りました。

そして、やっとのことで遭難者たちの元へたどりつきました。

下山を開始した遭難者たちは驚きました。

下山ルートが完璧に確保されていたのです。

ニュースを聞いた3000人の登山者たちが、補給路を作って待っていたのです。

引き継がれる山男の意志

現在、富山県の山岳警備隊は鍛え抜かれ、遭難者の救助を行うプロフェッショナル部隊として人々の信頼を集めています。

これまでに2600人もの遭難者を救助しました(2002年当時の数)。

 

プロジェクトXに関するオススメ記事

プロジェクトXに関する記事をまとめました

コメント