田中将大の日本での7年間の軌跡とシーズン24勝の伝説を振り返る

田中将大 奇跡 スポーツDVD
©Rakuten eagles

田中将大は、2006年に4球団競合の末、駒大苫小牧高校から東北楽天ゴールデンイーグルスに入団しました。

その2007年のプロ野球デビューから、歴史に残る大偉業を成し遂げた2013年までの軌跡を振り返ります。

 

記事の元となった資料:DVD「東北楽天ゴールデンイーグルス 田中将大 KISEKI プロ7年間の軌跡と奇跡の無敗記録

2007年出発

田中将大は、2007年、名将野村克也監督のもとでプロ生活をスタートさせます。

野村監督は、開幕を1軍にするか、2軍でじっくり育てるか迷いますが、チームの投手事情もあり、開幕1軍でスタートすることになります。

 

初登板は、2007年3月29日、ソフトバンク戦がデビューでした。

1回2/3を投げ、自責点6という苦いデビューとなりました。

田中将大 デビュー

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その試合を含め3試合連続勝ち星なし、ゴールデンルーキーと呼ばれていただけに、マスコミはいきなり1軍の田中将大を叩き始めます。

2007年4月18日、因縁のソフトバンク戦です。

1回、ノーアウト満塁となりながら3者連続三振で切り抜けます。

そこからは、おもしろいように三振を取り、9回を投げ切り自責点2、初勝利となりました。

この初勝利が田中将大の評価をひっくり返しました。

田中将大 初勝利

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その後は、打たれても打線が取り返してくれて、前半だけで7勝をあげ、不敗神話が生まれます。

野村監督からは「マー君神の子不思議な子」という名言が出るほどでした。

2007年の成績
  • 登板数28
  • 11勝7敗
  • 防御率3.82
  • 奪三振196
  • タイトル:新人王

2008出会い

2年目はストレートが打たれ、6勝6敗で故障による2軍落ちも経験しました。

しかし、この年は後の田中将大のピッチングを大きく変える運命の出会いがありました。

北京オリンピックの日本代表で、ダルビッシュ有と出会い投手人生が変わります。

故障しない体づくりを目指していた田中にとって、ダルビッシュ有のち密な計算に基づいたピッチング指導は衝撃でした。

ダルビッシュ有

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そして、当時の楽天の絶対エースである岩隈久志から、力を抜くときと入れるときの使い方を学びました。

2008年の成績
  • 登板数25
  • 9勝7敗1S
  • 防御率3.49
  • 奪三振159

2009年進化

2009年は開幕から絶好調、4月の月間MVPを獲得します。

開幕7連勝というものすごい成績でチームを引っ張ります。

その後も活躍し、8月にも月間MVPを取得します。

 

楽天は2位になり創設以降初めてのクライマックスシリーズ進出を果たします。

田中将大 進化

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2009年の成績
  • 登板数25
  • 15勝6敗
  • 防御率2.33
  • 奪三振171

2010試練

2010年は、ブラウン新監督での新たな楽天が始まります。

5月に月間MVPをとるなど、この年も絶好調。

8月29日、12勝目を目指した西武ライオンズとのアウェー戦、右大胸筋部分断裂により故障します。

田中将大 故障

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このままこのシーズンは終わりになります。

2010年の成績
  • 登板数20
  • 11勝6敗
  • 防御率2.50
  • 奪三振119

圧巻の成績だったため、故障が悔やまれます。

2011年 勇気

この年から監督は星野仙一に代わり、新たな楽天がスタートします。

田中将大はケガから復帰し、開幕投手を目指し全力で投げ込んでいた矢先の3月11日、東北大震災が発生します。

インタビューで「今までどおりじゃだめだと思うんですね。プレーで見せなきゃいけないし、勝ちにいかなきゃいけない。勇気づけるようなプレーをしなければいけない」と強い意志を語りました。

東北大震災

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この年は、甲子園以来となる、日本ハムの斎藤佑樹との投げあいもありました。

田中将大は完投し4-1の勝利で終わりましたが、9回に満塁から押し出しで取られた1点を悔やみ、苦い表情で試合終了を迎えました。

震災を受けた人々を勇気づけるための田中将大の投球は、球界のエースといえるほどの圧巻の成績でした。

2011年の成績
  • 登板数27
  • 19勝5敗
  • 防御率1.27
  • 奪三振241
  • タイトル:沢村賞、最優秀防御率、最優秀投手、最多勝利投手、ゴールデングラブ賞、ベストナイン、月間MVP3回

2012年 決意

楽天のエースだった岩隈久志がメジャー挑戦のためチームを離れ、名実ともに田中将大がエースになりました。

しかし、キャンプでの調整が遅れ、開幕戦では敗戦、5月には腰を痛め2軍で調整します。

安定した 田中将大

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復帰後はフォームが安定し、フォアボールをほとんど出さないピッチングになりました。

 

この年のオフに、将来的にメジャー挑戦をしたい旨を球団に伝えました。

2012年の成績
  • 登板数22
  • 10勝4敗
  • 防御率1.87
  • 奪三振169
  • タイトル:最多奪三振、ゴールデングラブ賞、月間MVP

 

2013年 奇跡

7年目の2013年は、田中将大の日本での最後の年になります。

今後一生涯追い抜かれることのない伝説の記録を残します。

WBCのエースとして複数試合に出場したこともあって、開幕への調整の遅れが心配されていました。

開幕から4日目の4月2日のオリックス戦が初登板でした。

7回を自責点1で見事に勝利で飾り、伝説が幕開けました。

2013年 初登板

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自身3戦目では、プロ入り最悪の15安打を打たれますが、8回を粘って自責点3に抑え勝利をもぎ取ります。

5月になって交流戦に入っても勢いは止まらず田中将大は7連勝。

6月になるとさらに勢いは加速し、完封勝ちも含め10連勝。

7月、14連勝をかけた戦いでは、ロッテの井口にホームランを打たれ、9回裏まで1点ビハインドという大ピンチですが、女房役のがサヨナラヒットで田中の記録を後押しします。

8月に入ってもまだまだ止まらず、ついには日本新記録の開幕16連勝を達成します。

開幕16連勝

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そして、シーズンをまたいでの21連勝というプロ野球新記録も作ります。

そして、同一シーズン20連勝という稲尾和久が持つ日本記録をも超えて、塗り替える記録がなくなってしまいます。

2013年9月26日、楽天の優勝までマジック2で迎えたライオンズ戦。

先日登板し、22連勝を飾っていた田中将大が、9回にリリーフとして魂の登板。

リリーフ登板

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気合の入った投球で、東北楽天ゴールデンイーグルスを創設以来初のリーグ優勝に導きます。

そして、その後も2試合登板し、シーズン24連勝を飾ります。

そのままの勢いでクライマックスシリーズを制し、巨人との日本シリーズに突入します。

シリーズ2試合目で勝利した田中が満を持して優勝がかかった第6戦で登板します。

まさかの自責点4で敗戦。この年、初めて黒星でした。

これで田中将大の1年が終わったと、誰もが思っていませんでした。

しかし、最終戦第7戦の9回のマウンドに、前日160球を投げた田中将大がいました。

そして、楽天1年の集大成を主役が締め見事に優勝。

日本一

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2013年の成績
  • 登板数28
  • 24勝0敗1S
  • 防御率1.27
  • 奪三振183
  • タイトル:パ・リーグMVP,沢村賞、正力松太郎賞、最優秀防御率、勝率第一位、最多勝利、ゴールデングラブ賞、ベストナイン、月間MVP5回
日本での通算記録
  • 登板数175
  • 99勝35敗3S
  • 1238奪三振
  • 防御率2.30

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