永平寺史上最年長の104歳の禅師・宮崎奕保の生き様

宮崎奕保 永平寺 ドキュメンタリー
©NHKエンタープライズ

福井県にある曹洞宗の大本山である永平寺。

開祖の道元が1244年に開きました。

1993年に全国26000人の曹洞宗の僧のトップである住職の第78代目に付いたのが宮崎奕保(みやざきえきほ)禅師です。

宮崎奕保

©NHKエンタープライズ

NHKスペシャルのカメラが撮影した2004年、当時104歳でした。

その後、2008年1月5日、御年108歳で遷化します。

高層が亡くなられるときは、「遷化(せんげ)」という言葉を使います。

100歳を超えても変わらない修行の姿勢

史上最高齢の僧でしたが、若い僧とともに100歳を過ぎても毎日修行を続けました。
厳格な仏教僧で、結婚せず、肉を一切食べず精進料理のみを食べるという暮らしを生涯つらぬきました。
その姿勢から、生きた仏と呼ばれました。
永平寺は冬は4時半、夏は3時半が起床時間です。
若い僧が身支度を済ませる前に、宮崎さんは誰よりも早くお堂に来て坐禅を始めます。
宮崎奕保 坐禅

©NHKエンタープライズ

朝は40分、夜は1時間20分坐禅を行います。

永平寺では年間に100近い法要が行われます。

一つ一つ、物の運び方や歩き方が細かく定められています。

坐禅に疑問を持った若い頃

幼くして母親と生き別れ、父親を病気で亡くした宮崎さんは11歳のときにお寺に引き取られました。

兵庫県加古川市の福田寺で修業しました。

遊びたい盛りの年頃だったため、坐禅ばかりすることに疑問を抱いていました。

学歴を身に付けるため、大学まで進学しました。

29歳のとき、教えを受けていた老師が亡くなりました。

80歳を過ぎても修行僧と同じように厳しい生活をつづけた老師のようになりたいと思いました。

跡を継いで住職になった宮崎さんは、坐禅の意味を考えることを辞め、ただひたすらに坐ることにしました。

 

宮崎奕保が残した言葉

「年とったらしわが増えてほくろができて腰がかがむ。これは真理の姿だ。そういう負け惜しみを言うほかない。」
「余計なことは考えない。前後裁断。そのときそのとき、ひと息しかないんや。」
「スリッパがいがんでおるということは、自分がいがんでおるんだ。すべて心が表れておるんだから。心がまっすぐであったら、すべての物をまっすぐにする必要がある。」
「一生まねしておったら、まねがほんまもんや。」
「欲は克服するすべを覚えんといかん。それが坐禅だ。息とひとつになる。欲の起こるすきがない。」
「平気で生きておることは難しい。死ぬときが来たら死んだらええんやし。平気で生きておれるときは、生きたらええんや。」

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