明治神宮には3000種類もの太陽な動植物が住む巨大な森があります。
東京の大都会のど真ん中になぜこのような森があるのか不思議に思ったことはないでしょうか?

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その森は、実は100年前の天才たちが壮大な実験のために作った人工の森です。
参考資料:DVD「明治神宮 不思議の森」
森に入った貴重な映像
本殿にたどり着くまでに20mを超える巨大な樹木が生い茂る中を3本の鳥居をくぐり抜けます。
参道の隣に巨大な森がありますが、ここは神域とされており、参拝客は立ち入ることが許されておりません。
2020年に明治神宮が鎮座100年となることを記念して、特別にこの森の調査をすることが許され、専門家たちが入りました。

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手付かずの森は生命の宝庫
ヒバカリと呼ばれる体調30cmほどの小さなヘビがいました。
都会ではほとんど見ることのできない珍しい虫です。

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そして、夜にライトをつけると数えきれないほどのカブトムシが飛んできました。
野生のタヌキもたくさん現れました。

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池にはブラックバスなどの外来魚がおらず、ミナミメダカなどの絶滅危惧種が大量に残っていました。
なぜ巨大な森は作られたのか?
明治神宮ができる前のそこは、ただの空き地が広がっていました。

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100年前に、明治天皇とその妃の昭憲皇太后を祀るために建設が始まりました。
1912年、明治天皇が崩御し、京都の伏見に墓が作られましたが、東京にも祀る場所がほしいという意見が相次ぎ、明治神宮が建設されることになりました。
本殿を守る鎮守の森を作ることが最大の難関となりました。
枯れることなく永遠に続く森を作ることが必要でした。
森を作った3人の天才
森づくりは、3人の天才によって考え出されました。
日本公園の父と呼ばれた本多静六(ほんだせいろく)と、その弟子である上原敬二(うえはらけいじ)、本郷高徳(ほんごうたかのり)です。

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ヨーロッパで最新の林学を学んだ3人は、人が手をかけなくても永遠に続く森を目指しました。
しかし、ときの総理大臣である大隈重信に反対されてしまいます。
広葉樹ではなく、伊勢神宮のような杉の森を作るよう指示します。
しかし、永続する森を作るには広葉樹であることが必須でした。
「もし森づくりに失敗したら総理の責任問題になります。」と、脅しに近い形で総理大臣を説得し、広葉樹による森づくりが始まりました。
国民が参加する一大プロジェクトになる
1915年、森に必要な膨大な木を広く国民から募集します。
明治天皇に木を献上したい国民たちが11万人も集まりました。
全国民が参加する一大プロジェクトとなりました。
3人の天才は、広葉樹を目指すのですが、まずはやせた土地に育ちやすい針葉樹を植えていき、その間に広葉樹を植えていきました。
150年経つと、次第に成長の早い広葉樹が主役になり、古代の森のような様相になるよう、慎重に計算しながら植える場所と種類を選定していきました。
その、ち密な計算の結果、私たちの世代になり、都会のど真ん中に巨大な森ができあがったのです。
東京大空襲により焼け野原になった際にも、明治神宮の森は生き残り、現在の私たちに、その偉大な姿を見せ続けてくれています。
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