1976年に完成したマッハ2を超える音速の旅客機コンコルド

NHK特集 コンコルド ドキュメンタリー
©NHKエンタープライズ

かつて先っぽにくちばしのようなものがついた不思議な形をした史上最速の旅客機がありました。

それがコンコルドです。

コンコルド

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パリーリオデジャネイロ間を、通常のジャンボジェット機であれば14時間かけて飛ぶところを、コンコルドは7時間で飛びました。

英仏の共同開発で100名の顧客を乗せて世界中の国々の間をマッハ2で飛びました。

開発が開始されたのは1950年

コンコルドの開発が開始されたのはイギリスとフランスで、1950年から計画は始まりました。

 

最初は、イギリスとフランスがそれぞれ別々に音速飛行機の開発を進めていたのですが、予算がかかりすぎてしまうため、共同で開発を行うことになりました。

あまりの開発の難易度に計画は何度も挫折しかけましたが、一度国家事業として始めてしまったため、辞めるに辞められず、開発はズルズルと続きました。

 

予算をかけすぎて開発を途中で辞められないことを、皮肉として「コンコルド症候群」と呼びます。

やっと完成したけれど・・・

13年もの期間と9000億円ものお金をかけてコンコルドは完成しました。

そのため、機体の販売価格は、1機あたり200億円という破格のものでした。

コンコルドは通常の飛行機より長い滑走路が必要なため、あまり就航できる空港がないことと、その速さゆえの騒音が問題視され、ほとんど売れることはありませんでした。

また、音速を超える物体にはソニックブームという衝撃波が発生するため、世界各国から反対運動の対象となりました。
このため、コンコルドは海洋上の高高度でのみ、超高速の飛行が可能という条件が付けられました。

全然儲からない旅客機

コンコルドは、ファーストクラスより20%高い搭乗券の価格もあり、気軽に乗れるものではありませんでした。
さらに、燃費も悪くオイルショックが重なってしまったため、航空会社としても採算をとることができない飛行機の代名詞となってしまいました。
コンコルドの完成当初は、音速飛行機時代がやってくると言われていましたが、様々な問題が重なり、生産はすぐにストップし、その後、後継機が作られることもありませんでした。
メンテナンスにも膨大な費用がかかってしまうため、
2003年をもって、全てのコンコルドがその役目を終え、姿を消しました。
それ以来コンコルドのような超高速旅客機は開発されていません。
まさに空の技術開発時代の意地が作り上げた怪物マシンでした。

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