ドラマスクールウォーズの元になった、京都市立伏見工業高校は、現在ではラグビーの名門校で、数々の日本代表選手を輩出していますが、元々は府内でも有名な荒れた高校でした。
学校内をバイクが走り回り、教師に対する暴力事件が頻発していました。
参考資料:プロジェクトX 挑戦者たち ツッパリ生徒と泣き虫先生~伏見工業ラグビー部・日本一への挑戦~
伝説の教師の登場
昭和49年、伝説の教師・山口良治が赴任します。

©NHKエンタープライズ
初日からラグビーを教えようとグラウンドに行きますが、誰もいませんでした。
部室にはタバコの吸い殻が大量にありました。
山口良治は、悪さをする生徒たちではなく、それを見て見ぬふりしている教師たちに腹が立ちました。
職員会議で「みんな、自分の子供だったら注意するでしょう。」と言いました。
山口良治の熱さに同意する二人の教師が現れ、学校の改革が始まります。
学校改革のはじまり
学校内でも一番のワルたちが集まるラグビー部を更生することが、山口良治の目標になりました。
しかし、部員たちは山口良治の指導に反発しました。
大阪の高校から練習試合の申し込みがあり、山口は喜んで受けましたが、当日、会場には生徒たちは誰も来ませんでした。
そんな環境のまま、昭和50年5月、春の京都府大会がやってきました。
初戦の相手は、名門花園高校でした。
前年全国大会準優勝でした。
開始わずか40秒でトライを決められると、そのまま一方的な展開となり、80対0になったとき、山口良治の体から大粒の涙がこぼれました。
偉そうに言っている自分が、教え子たちに何もしてやれないことが悔しくて涙が出ました。
結果は、112対0という記録的な大敗でした。
山口良治が生徒たちにかけた言葉は優しいものでした。
「お疲れさん、ケガはなかった?悔しいよな。」
そのとき生徒の一人だった小畑道弘が「俺は悔しい。」とその場に泣き崩れました。
それに釣られて、20人全員の生徒が泣き崩れました。
「悔しい、先生、花園に勝たせてくれ。」
「俺についてこい、必ず勝たせてやる。」
猛特訓の開始
翌日から徹底的に走り込み、生徒が倒れるまで練習が続きました。
周りからは「花園に勝てるわけない。」と笑われましたが、「絶対に勝たせてやる。」と言い続けました。
ある日、小畑道弘が喫茶店でたばこを吸っているところを見つけました。
グラウンドに呼び出して、1対1で何も言わず練習をしました。
「俺はお前を信じているからな。」とだけ伝えました。
その日から小畑道弘はたばこをやめました。
京都一のワルが入部
昭和51年3月、伏見工業に衝撃が走ります。
京都一のワルと言われていた、山本清悟(やまもとしんご)が入学することが決まりました。
京都の不良の頂点に立つ男でした。

©NHKエンタープライズ
山口良治は、「清悟、ラグビーをやれ。」といきなり誘いました。
「ラグビーは喧嘩と一緒や。ボール持ったら何してもええんや」
山本清悟はラグビー部に入りますが、思っていたものと全く違いました。
猛練習に付いていけず、すぐにやめようと思いました。
遠征先で一人でパンをかじっているときに、山口良治が大きな握り飯と弁当を渡してきました。
父子家庭で育った山本清悟にとって、この弁当は心を打つものでした。
山本清悟はラグビー部に踏みとどまりました。
伏見工業の快進撃
昭和51年5月、春の京都府大会が始まります。
伏見工業は快進撃を続け、ついに決勝進出を果たします。
昭和51年6月5日、決勝の相手は、1年前に112対0で敗れた花園高校です。
雨の中、伏見工業は一気に攻め込みました。
圧倒されていたスクラムは互角になっていました。
捨て身のタックルが花園の攻撃を食い止めます。
ベンチで見ていた山口良治は、生徒たちの成長に体が震えました。
12対12で迎えた残り5分、15人全員でせめて、トライを奪います。
18対12で伏見工業が京都大会優勝という奇跡を成し遂げました。
山口良治の就任からわずか1年という漫画のような優勝でした。
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