ダイニングキッチンといえば、今は各家庭に当たり前にありますが、最初にできたのはいつか知っていますか?
ダイニングルーム=食堂と、キッチン=台所という言葉を組み合わせた和製英語です。
ダイニングキッチンは日本で発明された建築手法なのです。
参考資料「プロジェクトX 挑戦者たち 妻へ贈ったダイニングキッチン ~勝負は一坪・住宅革命の秘密~」
公営住宅のプロジェクト開始
昭和30年代、東京への人口一極集中が進みます。
全国のサラリーマンから「住宅よこせ運動」が起こります。
ときの鳩山一郎内閣は、全国に住宅を行きわたらせることを公約します。
国は日本住宅公団を設立し、住まいの大量供給に乗り出します。
しかし、住居一戸当たりにかけられる建設費は70万円、床面積13坪がギリギリでした。
公募で集められた日本住宅公団の300人のメンバーの中に、ダイニングキッチンの立役者である尚明(しょうあきら)がいました。

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建設省から自ら願い出て公団に入った尚明は、計画部の課長に抜擢されました。
ダイニングキッチンの誕生
狭い床面積しか与えられなかった公営住宅の計画の中で、なんとか住む人に喜んでもらいたいと、新しい建築方法を考え始めます。
家族が集まって団らんするダイニングルームを見て、公共住宅の台所に家族団らんのスペースを作りたいと考えます。
ここからダイニングキッチン構想が始まりました。
しかし、家のどこの部分にダイニングキッチンを作るかが問題でした。
ある日、同僚たちを家に集めて飲んでいた時、自分の妻が台所で寒そうに足踏みをしながら皿洗いをしている姿を見つけました。
ダイニングキッチンは家の中で一番南側のあたたかいところに作ろうと提案します。
そうなると、お客さんが来る台所は今以上にきれいな場所にしなければならないと考えられました。
そこで提案されたのが、ステンレスを使った流しです。
しかし、ステンレスは職人の手で成形するしかなく、予算の5倍もの費用がかかってしまうことが分かりました。
そこで、目を付けたのがプレス機です。
日本で初めて、ステンレスのプレス作業への挑戦が始まります。
ステンレスはプレスにかけると割れてしまい、1か月で400枚もの失敗を繰り返しました。

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ダイニングキッチンの完成
昭和31年9月、何度も何度も試行錯誤を重ね、ようやくはじめてプレス機でステンレスを加工することに成功しました。
昭和32年7月の公団住宅の建設にギリギリ間に合いました。
銀色のピカピカに光るダイニングキッチンは主婦たちの憧れになり、団地に住むことは、宝くじに当たるより難しいと言われました。

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