「院内学級」という仕事をご存知でしょうか?
病気やケガで入院中の子どものために、病院で授業を行う教室です。
副島賢和(そえじままさかず)は、昭和大学病院で院内学級教師をする、注目の先生です。

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参考資料:プロフェッショナル 仕事の流儀 第Ⅷ期 院内学級教師 副島賢和の仕事 涙も笑いも、力になる
副島賢和の一日の仕事
副島賢和の仕事は、毎朝ナースステーションに電話して、自分が受け持つ子どもたちの状態を確認するところから始まります。
入院中の子どもたちは体への不安から、神経が過敏になっていることが多くあります。
少しでも子どもがリラックスできるように、席順を考えます。
それぞれの体調に合わせながら入院する小学生・中学生に勉強を教えます。
副島が大事にしているのは勉強を教えることより子どもの心を解きほぐすことです。
子どもたちは、自分が病気になったせいで家族に迷惑をかけてしまっていると思っている子がたくさんいます。
副島は子どもたちの前でわざと失敗します。
数を数え間違えたり、誰も笑わないダジャレを言ったりします。
子どもたちは「失敗してもいいんだ」と思えます。
ピエロの赤鼻をつけて子どもたちの前でおどけてみせます。
副島の授業は、とにかく笑いが絶えません。
ある一人の子どもとの出会いが人生を変えた
23歳で教師になった副島賢和は、29歳のときに病に襲われます。
肺に水がたまり、5年間入退院を繰り返しました。
激しい運動ができなくなるという後遺症を抱えます。
子どもたちと走りまわることができなくなりました。
教師人生に悩んだ副島賢和は、院内学級の募集を知り、思い切って異動を願い出ます。
そこには大人になるまで生きられないような子どもたちもたくさんいました。
そこで出会ったある男の子は先天性の腸の疾患を抱え、つらい治療生活を過ごしていました。
しかし、男の子はいつも明るく、周りの子どもたちを楽しませていました。
そんな男の子の作文「ぼくは幸せ」に副島賢和は、心を撃たれます。
「お家にいられれば幸せ ごはんが食べられれば幸せ 空がきれいだと幸せ。 みんなが幸せと思わないことも幸せに思えるから、ぼくのまわりには幸せがいっぱいあるんだよ。」

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重い病気を抱えながら、それでも幸せだという少年に比べ、教師生活での自分の悩みなど小さいものだと思うようになりました。
少年は12歳になったときに容態が急変し、この世を去りました。
それからもずっと、少年の笑う姿が副島賢和の心の先生になりました。
副島賢和の言葉
「何度も何度も病気になる子どもはいじめを受けているような気持ちになるんです。自分の体が自分を裏切るんです。」
プロフェッショナルとは?という質問には次のように答えました。
「そこにいること、在ることの大切さを知っている人。あたりまえのことを、あたりまえに行える人。目に見えないものも、しっかり受け止めることができる人だと思います。」
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