天ぷらの神様と呼ばれる男が揚げる天ぷらが食べられる「みかわ是山居(ぜさんきょ)」。
伝説の寿司職人、すきやばし次郎の小野二郎も常連として足しげく通う名店です。
天ぷらに革命を起こしたと言われる、その男こそが早乙女哲哉(さおとめてつや)です。

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この記事の元となった資料「プロフェッショナル 仕事の流儀 道を究めるその先に 天ぷら職人 早乙女哲哉の仕事」
なぜ天ぷらの神様なのか
天ぷらはとてもシンプルな料理です。
衣につけて油で揚げるだけです。
エビを揚げるとき180度前後で40秒というのが通常の揚げ方です。
しかし、早乙女哲哉は、もっと高温で、20秒で仕上げます。

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中央にレアな状態があるため、エビの甘味が最大に引き出されています。
その、ギリギリの状態を狙います。
キスを揚げるときは、通常の揚げ時間よりもはるかに長い時間をかけ、焦げるギリギリを狙います。
それにより余分な水分が抜け、引き締まった身の味が広がります。
早乙女哲哉の天ぷらのクライマックスはアナゴです。
皮に付ける衣を薄くそぎ落とし、最初は低温で中の水分を飛ばします。その後、一気に220度まで上げ、何度もひっくり返しながらうまみを閉じ込めていきます。
これにより、外はパリっと、中はふっくらとした究極のアナゴの天ぷらが完成します。

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早乙女哲哉の半生
終戦の翌年、栃木県に生まれた早乙女哲哉は、15歳のとき寿司職人になるため父の知り合いを頼って上京。
しかし、連れていかれた場所は、天ぷら屋でした。
気が弱い早乙女哲哉は何も言えないまま、そこで働き始めました。
2年後、厨房に立つことができるようになりましたが、お客の前では足が震えて仕方ありませんでした。
それでもなんとか仕事をこなしていきましたが、日に日に揚場に立つのがつらくなっていきました。
駅の改札の前に立って人を見る訓練をしました。
22歳のある日、客の前で汗が吹き出し、トイレに駆け込みました。
いつまで経っても汗が止まりませんでした。
「俺はとてつもなく弱い。」と自覚し、何が起きてもいいや、と開き直って働くようになりました。
多い日には1日300人分を揚げ続け、技術を磨きました。
ある日、失敗を恐れる自分の弱さが、客の細かな反応を観察する能力につながっていることに気が付きました。
勇気を出して独立しました。
半年で人気店へとのし上がりました。
早乙女哲哉の名言
「俺は、100軒や200軒の中に入りたいわけじゃない。世界で1軒になりたい。」
「衣くっつけて油の中へ放り込んだらもうおしまいだもんな。その中で何ができるかっていうことだから。めざすものは深く深く。もう突っ込むしかないんだよね。深く。それこそ井戸よりも深く掘ってみせてね、その深さはあんたらには見つからないんだよ、という仕事がしたい。」
プロフェッショナルとは?という質問には次のように答えました。
「「うまいね」って言われたらね、「そうやって作りました」って。そういうのがプロだと思う。出来上がりも始める前からわかっているし、出来上がったものも自分でわかる。自分の仕事がわかんないやつは、プロフェッショナルじゃない。」
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