道元を主役にした珍しい映画「禅」

道元の開眼 ドラマ
©2009「禅ZEN」制作委員会

「禅-zen-」は、鎌倉時代の初期に曹洞宗という宗派を開いた道元を主役とした映画です。

道元のいた時代

鎌倉時代を映像化した作品ですら珍しいのに、道元を題材にしたものは非常に珍しいです。

鎌倉時代は、源頼朝の死後、政権争いが絶えず、人々が疲弊していた時代でした。

庶民の間では末法思想が広がり、現世で生きることに絶望した人たちが増えていました。

人々は救いを求め宗教にすがります。

道元の開いた宗教はどんなもの?

鎌倉時代には、法然による浄土宗、法然の弟子の親鸞が開いた浄土真宗、日蓮が開いた日蓮宗、そして道元が開いた曹洞宗が4大宗派となりました。

その中で、浄土宗、浄土真宗、日蓮宗は念仏を唱えるだけで極楽浄土に行けるという庶民に受け入れられやすいものでした。

それに対し、曹洞宗は、ひたすら坐禅を行い修行することにより悟りを得られるという、他の宗派とは一線を画すものでした。

他の宗派に対し、硬派な教えだったのです。

映画の内容をざっくり紹介

物語は道元(中村勘太郎)が宋(中国)へ渡り、曹洞宗の僧である天童如浄から禅の教えを受け、印可をもらうところから始まります。

道元の開眼

©2009「禅ZEN」制作委員会

そして、他教から迫害を受けるところや、北条時頼との出会いを経て、その生涯に幕を閉じるところまでが描かれています。

最後は、北条時頼から鎌倉にとどまり、道元の教えを広めてほしいと頼まれますが、越前の小さな永平寺に戻り修行を続けるため、これを断ります。

道元の名言集

源公暁が食べ物を盗もうとした子供を斬ろうとした際に道元が子供をかばい言った言葉。

「公暁、私を斬れ。この子らを裁くのは、そなたの務めではない。このような子らが出でぬ世の中をつくることこそ、天下人としての務めであろう。」

源公暁

©2009「禅ZEN」制作委員会

 

おりん(内田有紀)が自分の子が死にそうになり、道元に助けを求めた際に道元が言った言葉。

おりんは、かつて源公暁の食べ物を盗んで、道元に救われた子供です。

「この子を助ける方法が一つだけある。これから、里の一軒一軒を訪ねて身内が一人も死んだことのない家を探すのです。そしてその家から豆を一粒もらってきなさい。」

結果として、身内が一人も死んだことのない家は見つからず、おりんの子は死んでしまいます。

つまり、道元が言いたかったのは、”どんな人にも死はやってくる。全ての人は大事な人を失った悲しみを抱えて生きている”ということです。

 

その後坐禅を行うが、子供の死の悲しみから解放されずに絶望するおりんに道元がかけた言葉。

「汝の中に仏はいるのだ。ただな・・・簡単に仏さんには出会えぬのだよ。人間は誰もが、あれが欲しい、これが欲しい、ああなりたい、こうなりたいと貪り、思うようにならぬと腹が立って愚かなことをしてしまう。そのようなもので目隠しをしているから、仏が見えんのだ。だから坐るのだ。その目隠しが取れるまで、ひたすら坐るのだ。」

道元がおりんに説く

©2009「禅ZEN」制作委員会

北条時頼(藤原竜也)は鎮圧した反対勢力の亡霊に悩み、様々な宗派の僧に会い、何を信仰すべきか悩んでいました。

そんな北条時頼に道元が説いた言葉。

北条時頼

©2009「禅ZEN」制作委員会

北条時頼は鎌倉幕府五代執権です。
「春は花、夏ほととぎす、秋は月、冬雪さえてすずしかりけり。あるがままの真実の姿を見ることこそ、悟りなのです。」
「坐禅は大海の中に水を見ることなのです。ただし、自らの仏性を知らねば、大海の中に水のあることを知ることはできません。」
「(怨霊の)退治はできませぬ。摂受するのです。摂受とは受け入れ。怨霊の苦しみ、悲しみ、恨みは、あなた自身の苦しみ、悲しみ、恨みなのです。その苦悩を全て受け入れるのです。しかし、己の全てを捨てなければ、受け入れることはできず、苦悩が去ることもありません。あなたが右手に権力を握ったそのとき、あなたは左手に苦しみを握ったのです。」
「執権とは、いみじくも権力にとらわれると書きます。このとらわれこそが、あらゆる苦しみの因なのです。今こそ、そのとらわれを捨て去るのです。」
「悪をなせば悪の報い。善をなせば善の報い。死が訪れる時、政治的権力も親しき人も莫大な財宝も決して自分を助けてはくれません。ただ一人で死んでゆかねばなりません。自分に従いゆくのは自分が生前になした行為、それだけなのです。」

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