パタゴニアレースという極限のアドベンチャーレースで超有名な日本チーム

田中陽希 ドキュメンタリー
©NHKエンタープライズ

日本百名山を歩きとカヤックだけで1年かけて踏破するという無茶苦茶な企画をやり遂げた田中陽希

その1年後にも日本二百名山を踏破し、総距離16,000キロを歩き切るという快挙を成し遂げました。

田中陽希

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彼の本来の主戦場は、世界各地で開かれているアドベンチャーレースと呼ばれる大会です。

グレートトラバース外伝では、2016年のパタゴニアレースに参加した田中陽希を追いかけます。

 

パタゴニアレースとは?

パタゴニアレースとは、南米の最南端であるチリのパタゴニアを踏破する

 

パタゴニアレースは、アドベンチャーレースの中でも特に完走が難しいと言われています。

その理由を、トレッキングレースの最高峰であるウルトラトレイル•デュ・モンブランと比べて見ましょう。

ウルトラトレイル・デュ・モンブラン

  • コース全長160キロ
  • 2日間でゴール
  • 1人で参加
  • ランニングコースのみ
  • コースが決まっている

 

パタゴニアレース

  • コース全長600キロ
  • 10日間でゴール
  • 4人1チーム
  • ランニング、マウンテンバイク、カヤックのコースがある
  • 決まったコースはない

 

パタゴニアレースでは、4人のうち1人でもリタイアとなってしまうと失格のため、他のアドベンチャーレースと比べても、とんでもなく完走率が低いことで有名です。

ウルトラトレイル・デュ・モンブランでは1000人くらいが参加し、7割くらいの人が完走します。

パタゴニアレースでは、20チームくらいが参加し、完走できるのは数チームだけです。

 

世界の果てのレース、とかラストワイルドレース、などと呼ばれています。

日本チームは実はすごい

田中陽希が所属する日本チーム、チーム・イーストウインドは、2016年以前のパタゴニアレースに過去4回出場し、直近の2回はどちらも2位という好成績でした。

  • 2010年 7位
  • 2011年 5位
  • 2012年 2位
  • 2013年 2位

リーダーの田中正人は、日本を代表するアドベンチャーレーサーで、20年以上も日本アドベンチャーレース界をけん引してきました。

田中正人

©NHKエンタープライズ

クレイジージャーニーというテレビ番組で鬼軍曹として出演したことでも有名です。

田中陽希はチームのエースで、8年間にもわたり田中正人と組んでアドベンチャーレースに出場しています。

紅一点の西井万智子も何度もアドベンチャーレースに出場しているベテランです。

その3人に、若手のホープである山北道智を加えた4人で悲願の初優勝を目指します。

 

レース開始

パタゴニアレースでは、前日に大まかなコースが発表されます。

そのコースを元に、自分たちでルートを考えるところからレースがスタートします。

2016年2月16日、最初はビーチからランニング開始です。

日本チームはいきなりダッシュで他のチームを引き離します。

序盤はアメリカチームと日本チームのデッドヒートです。

アメリカチームもパタゴニアレースで常に3位以内に入る有名チームです。

スタートから2時間、首位のアメリカチームと共同戦線を張り、交互に風よけになりながらランニングゾーンを突破します。

スタートから4時間で日本チームとアメリカチームが首位で最初のチェックポイントに到達します。

そこからは、272キロのマウンテンバイクコースが続きます。

 

チェックポイント6までがマウンテンバイクコースです。

マウンテンバイクコース

©NHKエンタープライズ

舗装されていない悪路をひたすら走る、地獄の自転車レースと化します。

チェックポイント2で、新人の山北が目の不調により視界が悪くなり、日本チームは仮眠をとることにします。

そして、大会2日目、既に5チームがリタイアという過酷な状態でした。

そして、25時間かけてマウンテンバイクゾーンを抜けた日本は、アメリカチームから1時間遅れでチェックポイント6まで到達しました。

そして、76キロのトレッキング区間に入ります。

緑の迷宮と呼ばれる広大な森をいかに正しいルートで通り抜けるかでタイムは大きく変わります。

日本チームは、湿地帯を通らず、森の中を抜ける難解なルートを抜けることで最短で次のチェックポイントへ到達しました。

何と、アメリカチームを抜いて初めて日本チームがトップに立ちました。

日本チームのレースの歴史の中で単独トップでチェックポイントを通過するのは初めてのことでした。

そして、次はまた長い110キロのマウンテンバイク区間に入ります。

しかしトラブルが発生します。

勝利を焦った日本チームのリーダー、田中正人が大きな穴にタイヤを取られ、顔面から落下。

落車

©NHKエンタープライズ

首に激痛が走り、腕がしびれて動かない状態でした。

下手をすれば障害が残るような状態であったため、すぐに救急隊を呼びレースのリタイアを決意します。

しかし、医師からの診断では、神経に異常はないと思われるが、1週間の安静が必要だといわれました。

しかし、20時間の休憩の後、少し体が動くようになった田中正人が、レースに復帰すると言い出しました。

 

ここで田中陽希が覚醒します。

「気持ちが高揚したのを覚えている。こっから1位になるとか2位になるとかそういうんじゃなくて、今置かれている自分たちの状況はどん底まできた。ここから這い上がる。」

 

田中陽希は転倒したことにより曲がってしまったマウンテンバイクのタイヤを自分の自転車に付け、少しでも田中正人の負担を減らします。

常にブレーキがかかったような状態で必死でマウンテンバイクをこぎ続けます。

 

通常の倍の時間をかけてチェックポイント9に到着します。

すると、奇跡が起きます。

強風のためカヤックが中止となり、1位で既に通過したアメリカチームを除き、残ったチームが一斉に翌日スタートすることになりました。

次のカヤック区間では、2人一組のカヤックで、腕が動かない田中正人を乗せ、田中陽希が1人でパドルをこぎ続けます。

もう1組の西井、山北よりも田中陽希がこぐカヤックのほうが先にゴールするほどの速さでした。

しかし、次の56キロのトレッキング区間でまたしても問題が起こります。

田中正人が木に頭をぶつけ、首に強烈な痛みを覚えます。

まともに歩くこともできなくなり、初めて鬼軍曹の口から、「次のチェックポイントで終わりにしたい。」という言葉が出ました。

どんな状況でも絶対に諦めを口にしないリーダーの言葉に、全員が納得し、リタイアを決意します。

 

そこで、もう1度奇跡が起きます。

アメリカチームのリーダーが腰の痛みにより、歩くことができず、アメリカチームはトレッキング区間で3日間もリーダーの肩を抱えながらゆっくりと歩いていたのです。

日本チームはそこに追いつくことができました。

3日間トレッキング区間でさまよっていたアメリカチームは既に食料を全て使い果たしていました。

日本チームは次のチェックポイントでリタイアするつもりだったのでアメリカチームに自分たちの食料を渡しました。

そして、3度奇跡が起こります。

リタイアを決意していたチェックポイント12に到着したとき、強風のため、カヤックが1日遅れることとなったのです。

そして、出発日になると、田中正人の体力が少し回復していました。

もう一度全員で話し合い、ゴールへ向かうことを決意します。

既に1位のイギリスチームとは20時間の差がついていましたが、日本チームは2位の南アフリカチームとほとんど差がない3位につけていました。

カヤックでは、イギリスチーム、日本チーム、南アフリカチームが同時に出発しますが、日本には治療に要した20時間のタイムが足されるため、イギリスチームからは実質20時間遅れとなります。

一人で田中正人がこげないため南アフリカチームに大きく引き離されてしまいます。

そして最後のトレッキング区間に入りますが、ここで田中陽希のルート選択が光ります。

圧倒的に効率的な選択により、2位の南アフリカに追いつき、追い越します。

そしてついにはイギリスチームを追い抜き、トップでゴールテープを切ります。

トップでゴール

©NHKエンタープライズ

もちろん、20時間という治療に要した時間が足されてしまうため、タイム的には準優勝となってしまいます。

それでも、日本チームが初めてトップでゴールするという快挙を成し遂げました。

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